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秋は子ヤギの駆け足で

2021年9月22日 晴れ日没の頃から雨

 この頃早起き。こいつらのお蔭で。お母さんがおっぱい飲ませてくれないから、人が絞って授乳。台所は土足禁止だよ。

 人の朝食。クボタミックス粉(小麦2種、ライ麦2種、スペルト。古いクボタハーベスタが掬い上げきれないで螺旋下に大量に残る穀粒使用)のパン、ジャガイモと野生ヒラタケの卵焼き、きゅうり。今年はナス、ピーマンがあんまり穫れなかった。ピクルスキュウリもダメだったな。

 蒸し暑い午前中、他所の田んぼのはぜ掛け。他所の仕事は作業の手が速い。手抜きじゃないけど、慣行農法の田んぼでは、決まりきった手順を決められたようにこなしていくから迷いがない。工場や、会場設営の現場仕事に近い。面白いのと金になるのは、今のところ一致しない。

 昼下がり、暑すぎる秋空、虻の復活、ヤギの放牧、赤とんぼ。

 子ヤギの角も伸びてきた。除角はしない。角で突かれて怪我しようとも。去勢はするよ。猫も大勢避妊去勢したし、死後は地獄行の可能性が高い。どういう責め苦か想像もつく。痛い。

 お膝でおねんね。どんな夢見てるのかな。NO作物踏んだりかじったりしないでね。

空想とまなざし:世の中を見るやり方について

2021年7月30日 晴れ時々曇り夕方から雨、一時激しく降る

相変わらずどこの天気予報もあてにならない。 ウェブの気象データを睨んであたりを付ける方がまだましなくらい。予報も「大多数」を相手に「大局的」にやっているんだろうから仕方がない。小数、個別はそれぞれ各自でやればよろしい。データが公開されているということは本当にありがたい。

昨日29日の朝日新聞26面の隠岐さや香氏のコラムで引かれていた、「物理学史に名を残す」ダランベール(名前は聞いたことあるけど、、、)の言葉を孫引きする。

「接種は国家にとって国民の人口の分だけ試せる賭けだが、個人にとっては1回しか試せない賭けである。」

心配するのは非合理的ではない、無理強い(義務付け)はできない、と続く。国家とはこの場合為政者、お上のことである(なんで”家”なんだろう。ロマノフ家とかブルボン家、天皇家の家と関係あるのか。もとの言葉は”国”と訳していいのだろうけれど)。ダランベールがどこでどういう意図でこう言ったのかはさておき(さておいていいのか)、国は常に大数の論理、統計的な発想で考える。ワクチンを打つメリット、と国が言う時、日本のように1億の人口があれば、千人くらいは犠牲が出てもよしとする(そうしているようにしか思えない)。トランプが新型コロナ流行初期に、何万人なら死んでも「うまくやっている」と言ったか思い出そう。何万人だったっけ。

これは、国や菅義偉が悪いのではない(悪いんだけど)。誰でも、1億という数を相手にすれば、同じような考え方をせざるを得ない。じかに見ることのできない相手を遇するには空想に頼り、空想はしばしば妄想に侵される。やっぱり国という集合の規模が大きすぎるんじゃないか。一握りの責任者が取りしきれる範囲を超えている。日本の場合責任者すらどこにもいない。権力者だけがいて。つまり(つまってるのか)、人間のまなざしで見つめることのできる大きさではない。

たまに人間らしさを保ったまま全世界を見つめるかのような事を言う人がいるけれどあれはあやしい。そういう人に、あのもしオラのことも見えてるだかね、と尋ねるとおおもちろん見ていますよ、と優しく微笑む。もちろん、個別に見ているのではなく、全体的俯瞰的に眺めているのだ、周辺視野で。ところが人間はやはり個人として焦点を合わせてもらいたいから、俺のことは見えるか、私はどうだ、と次から次、ひっきりなしにその人に尋ねる。初めは仏の顔でええ見てますよ、なに、心配しないで、とニコニコしていたその人も、何万人と押し寄せる衆生を前に疲れ果ててしまい、とうとう目を半分閉じてしまった。仏様が半眼なのはそういう訳なのだ。四十数年前に鎌倉観光のバスガイドさんから聞いた話である。

脱線してるうちに考えていたことを忘れた。それ、問題は政権交代じゃない。天皇制の問題が男系女系じゃないように。オリンピックの問題が観客の人数でもないように。政権はあっていいのか?

話題を変えよう。これはタマゴタケ。夏に採れる貴重なキノコ。歯ごたえがあってバターで炒めるとうまい。食感はニギリタケと似ているかな。割と毎年同じところに出るんだけど、林道の手入れが行き届かないと、去年散歩ついでに寄れた場所が今年は鋸と鉈で切り開かなけりゃいけないてなこともあって、暇のない年は食卓に上がらない。今年見つけたのはたまたま。人生大体たまたま。という本『たまたま The Drunkard’s Walk』を最近読んでる。それで大数の論理という言葉はここから借りてるんだと思う。読んでたけど、NO繁期真っ盛りに突入したうえ、ヤギ仕事がまだ増えそうだからまた冬まで読めないだろう。

 

新じゃががうんと穫れた。生き物係さん(長いので今後「ブラック・ジャッ子」に改める。もっと長い)の収穫だけで去年より多いそうなので、これから掘る私の分を入れると、もうジャガイモ三昧だね。各種麦類も自家用にはまあまあ穫れたし、5月ごろに途絶えてしまった「黒パンとジャガイモの日々」再び。

 

 

人はパンのみにて生きるにあらず、でも黒パンがあれば幸せに生きていけるかも

2021年3月29日 晴れ

早朝の冷え込みも緩む。昼間は半袖で過ごせる。むしろ暑い。

晴れて暑い日が続いたり、曇りや雨で冬のように寒い日が訪れたりするので季節外れのナメコが出た。うれしい反面、こわい。きれいな球体を形作ってクルクル回っていた硬貨が、回転スピードを失って揺れ始めると、決して元には戻らない。断末魔、ドラムのロールのような音を立ててエントロピー最大の状態を迎える。おしまいの日は想像以上に早い気がする。

それでも我々は生きる。生きるためには食べなければいけない。

この頃、薪ストーブでパンを焼く新しいやり方を考えた。これまでは、ストーブの炉内を釜のように使っていた。今はこうだ。


天面に型を置いて、


大きいステンレスボールをかぶせる。
200~250℃、30~45分で焼き上がる。このやり方は、炉内焼きに比べて温度調整が格段にやりやすい。ストーブの周りに燃えやすいものを置いてはいけません。


今朝焼いた黒パンと、生き物係さんがアサヒ軽金属のお鍋で焼いたチョコレートケーキ。20年くらい前のデジタルカメラのメモリースティックを使った画像なので(なので、かどうかは本当は分からないけど)、クラシックな雰囲気。『モルドヴァ地方の料理』とか、『チェコ家庭料理365日』みたい。

自分で作るから、というせいでもあるけど、こうやって焼いた黒パンはとってもおいしい。諸般の事情で自家製粉を使えない今日この頃、来年は小麦もライ麦もスペルト麦も燕麦も自給する!と固く誓っている。ハト麦もそろそろ播き頃。

何はともあれ、抱えられるものだけは抱えて山暮らしに間に合ったのだ。何という幸せ。山野で暮らした大昔の記憶が体の中で疼く。ぴったり嵌り込める原型を抽象しようと。自動書記的に。私自身はいつも深くて大きい穴を見下ろしている。

 

 

朝食に見る今年の日常 1月

去年ライ麦が全く穫れなかったので、年末に富澤商店でライ麦粉を5kg買った。鳥越製粉のヴァンガーラント。舌触りの好みでは中挽きまたは粗挽きだけど、これはふくらみやすいから小麦粉に混ぜて使うのにはいいかもしれない。

という訳で、うちでは今年は毎朝手作りライ麦パンを食べている。

1月2日、生き物係さん作、ライ麦入りブロートヒェン、キャベツとジャガイモ。基本的に丸パンとおかずは生き物係さんが作っている。

1月7日、ライ麦パン。ローフ型を使うのは私の手によるもの。ブドウ酵母。やや生焼け。

でも底は黒い猫、だあだ。

8日、黒パンとジャガイモとソーセージ炒めチーズ掛け。

10日、黒パン2種類とソーセージとキャベツ。

11日、黒パンとキャベツとジャガイモと栗豆。

生き物係さん作、バースデイケーキ。パチパチ。

13日、黒パンと栗豆。ヤギのうんこに少し似ている。

14日、黒パンとジャガイモのオムレツ。生き物係さんの丸パンはトースターで、私のローフはこのストーブに型を突っ込んで焼く。

15日、黒パンとソーセージとジャガイモ。

16日、ライ麦ちょっぴりパンとジャガイモ。

18日、今日は蕎麦でも挽いてみようか。玄蕎麦は地元「薬師会」から頂いた物。調整方法手探りで500gに2時間。

20日、左のフライパンには頂き物のレバーケーゼ。名古屋のドイツ仕込みマイスター作。うまい。

21日、黒パンとマイスター腸詰とジャガイモ。ドイツっぽい。

22日、表面にオートミール。大麦使うレシピの応用。

24日、丸パンはサフ、ローフはライサワー種を使っている。

27日、黒パンと腸詰とキャベツ。こりゃコーヒーじゃないだろ。

28日、黒パンとレバーペーストとジャガイモ。ヒラタケのしょうゆ漬けがジャガイモに合う。

31日、蕎麦粉のスターターを使ったピザ。

1月は黒パンとジャガイモばっかり食べてたなあ(朝は)。