6月6日に雨ザーザー

2022/06/06 雨

6月6日に雨ザーザー。この言い慣わしは毎年その通りだと思う。朝から風も吹き荒れて。

南部小麦、ドイツライ麦は出穂、ドイツ小麦、スペルト麦も気配あり。いつぞやの梅雨時のようにずーっと晴れないとちょっと困る。

降れば豪雨、晴れれば熱波、年々気象が激しくなる一方のように感じるのは地球の先行き不安感のせいだろうか、事実、やがてはこのまま荒れ狂う風波に掻き消されるさだめの我らか。

連帯障害の身ながら我ら、と感じるのは、常日頃何があっても自分だけは生き延びようと心がけてはいても、全地的面的攻勢を受けてはもはや逃げ場がないとあきらめもしているからでありますね。

長引くコロナ禍で3年目を迎えたオンライン田植え。今年は3葉くらいで早目に植える、と思っていたが、天気と準備の兼ね合いが上手くいかず、育苗期間が40日を超えた。その割には分蘖もせず、3葉で徒長の苗になった。田植え初日の朝、急遽五本歯の条付け器の両端に小割を打ち付けて七本歯に改造した。大変具合が悪く、途中で小割を切り捨てた。来年は春までにしっかり改造を済ませよう。

で、今日は6月14日。田押し車の一番除草3日目。一番草は芽が伸びる前にとにかくとっととやる。もう結構伸びてます。まだ活着の弱い株があってたまに抜けそうになる。欠株が多いなあ。全体で10株以上ありそうだ。

諸般の事情でヤギがほんの少し増え、午後の繋牧と放牧地への移動が一仕事。ただ、頭数が多い方が、群れとしてまとまって動くような気がする。気のせいだったことがこの頃判ったけど。

*        *        *

ウクライナ情勢を見ていると、国家ー国境という思想ーの悪い面ばかりが気になる。諸悪の根源とさえ言いたい。控えめに言っても必要悪だ。国境線が引かれるから定常系存在であるかのように誤解してしまうが、成長、拡張、侵略、強奪(資本主義の必須条件でもある)が本領。領域は分捕って伸びたり分捕られて縮んだりする。その領有権は国民の不断の努力によって守られなければいけない。うかうかしてると獲られちゃう。おらあ、そんな世界はいやだなあ。

国家は有無を言わさず強権的に構成員を所有し、支配する。ものごころ付かないうちから、俺は自由にものを考えて生きているぜ、と勘違いさせるようによく考えられた教育が与えられる。或いは銃剣の力で。時として剣はペンよりもよく説き伏せる。国家は権力者連中のものだ。決して我々のものではない。国家は民衆とその所有地の集合ではない。国家はウクライナでもロシアでも地図の上に線を引いて作られた人工物だ。自然の境界線で囲まれた日本は、このことを誤解しやすいかもしれない。

国家が民衆の人格を装うから騙されてしまうんじゃないかな。

ウクライナ国内の反戦運動が伝わってこないのはどうしてだろう。無いのか、無いことにされているのか、どちらにしても怖い話だ。歴史から学べることがあるとすれば、第二次世界大戦当時の日本の新聞を見れば、現在のゼレンスキー政権(「国民は下僕党」?)がどういう物語で国民を操ろうとしているのかが類推できるかも知れない。

*        *        *

軍事同盟と武器をどうにかしなければいけない。参議院も必要悪と割り切って利用したいものだ。したくないんだけど。