2021年の梅雨明けもオリンピックもマジか

2021年7月15日

筑北盆地周縁に積乱雲多く時々晴れ、強く短い夕立

いきなり暑い。家じゅうぐったり。昨日玄関の地下足袋に黒猫だあだがおしっこをしてくれた。ので暑いけど長靴でNO作業。だあだは引っ越しの荷姿のまま奥の院(だあだが実効支配中)に積んである本の段ボールにもおしっこをしてくれるので、読まずに処分した書籍も少なくない。

雨を言い訳に見て見ぬふりをしていた野菜畑の草刈り。

・草に埋もれたハト麦を救出。ハト麦は初見参作物、麦というより小ぶりなトウモロコシといった草姿。

・これも初見参「浜ニュー黒ピー」だと思っていたトウガラシ属に「激辛とうがらし」が生っていた。苗段階で品種が混ざってしまい、実が着いてからのお楽しみ状態だったトウガラシ属4種、まずひとつ確定。

・ディル、人参(はねだしの種)、オクラ、小豆救出。ライ麦とクリムゾンクローバーの混合緑肥に埋もれた春菊とバジルの救助活動は明日以降に延期。

・試しに植えてみた捨て苗のカボチャが意外に育っている。他の作物を蹂躙する危険性は小さくない。途中で切ってしまうとか、できないクチである。今年はやるけど。

面積でいえば0.5haあるかないかのNO地。ここらが限界じゃないかと思う。

私がコロナワクチンを打たないいくつかの理由

・農毒薬(ファイザーは何を作ってるのかな)、遺伝子組み換え技術を憎んでいる。

・信用できない。審査が「特例承認」という「例外」なのに、「正式承認」としか言わなくなった。きっちり説明してもらいたい。また、ワクチン接種に起因する事故は国が補償するという触れ込みだが、因果関係を絶対に認めない。原発事故もそうだね。

・ワクチン義務化の同調圧力、プロパガンダ報道が多すぎる。自称専門家のワクチン安心解説は要らない。原発事故の後も自称専門家が大丈夫、逃げなくていいよと言い続けてたくさんの被曝者を産んだ。歴史から学ぼう。

・過疎地で日に一人、他人に会うか会わないかという生活で、能動被動感染リスクが低い。
村では余ってるみたいだから、ワクチン欲しいって人に回してあげてください。

・子どもにもワクチンを、てな風潮がこれ以上広がらないためにも、打たない大人が一定数いなければいけない。子どもを人体実験に巻き込むな。

・自然免疫でコロナウィルスをやり過ごす少数派(になりそうなワクチン熱の感染力!)人類の一人でいたい。つまり生物多様性の考え方だ。多様性はどうしたマクロン、冒涜する自由は認めてもワクチン拒否は認めないのか。

その点、何事につけアメリカ様の顰に倣う日本は今のところ義務とは言わない(無い袖は振れない)。自由も平等も握る力が尽きたらさようなら。金の力で握るって?ああ、そう。

2021年の梅雨明け間近

2021年7月14日 曇り時々晴れ

縁側のすぐそばに雨水桶があり、雨樋の水を集めて庭先の雑事に用立てている。今時分はボウフラの養殖場になって具合が悪い。そのせいか、蛙が集まってくる。夜、そいつらがけたたましい声を立てて鳴き喚く。たいがいデュエットかトリオで賑やかにやる。それ以上の合唱があるのかどうか、そこまで真剣に聞いてみないから判らない。豊かな倍音で耳が痛い。蛙の宿、だったか、旅先でカエルの合唱に悩まされる話を思い出す。郵便受けに糠味噌を詰めたりする話だったか、どうだか。

一日中或いは日に一度は激しい雨が降らないでは済まなかった梅雨ももうじき明ける。梅雨の晴れ間というものがなかったおかげで、玉葱、ニンニクの収穫が辛かった。これらの穫り入れに関して、菜園の指南書にはたいてい「梅雨の晴れ間を見計らって2~3日畑で干す」とか「数日晴れて畑が乾いたタイミングで収穫する」などと書いてある。梅雨の晴れ間が無い時の対処法は無い。
長雨で嫌んなっちゃって何をするのも後手後手、ニンニクなんか激しく採り遅れて引っこ抜こうとすると茎の外皮だけ抜ける、死体の手を引っ張ったら肉だけ抜けるところを想像したりして気が滅入った。

梅雨の晴れ間に人参を播こうと思っていたら今日まで時機を逃し続け。半月前に草を取って用意した畑もすっかり草だらけ。除草剤もワクチンも使わないからこれは仕方ない。午前中は降らない予報だったから、三角ホーで播き溝のとこだけ削り取って播いた。種はたくさんある。つい厚播きになる。どうせ土砂降りの雨に叩かれるんだから土もかけない。というより、パラパラ撒けるような状態の土は無い(パラとかオリを思い出して腹が立つ)。明日燻炭でもかけておこう。

こういう時に限って、雨が降らない一日だった。