2019年11月18日 晴れ時々曇りのち雨 4/20℃
裏山はすっかり紅葉したのにおしゃべりなドロノキばかりはいつまでも青いままだな、と思っていたらドロノキだけが真っ先に落葉。そういうもんだったかな、でもちゃんと気にしたことは無かったのだな、と思い知る。気にしたからと言って愛した事にはならないってのはわかってる。でもドロノキは好きだよ。
土作りという事を意識し始めてからほうれん草が育たない。適当に播いた初年度が一番よかったな。俺は一生懸命土をダメにしているのかも知れないな。まあほうれん草たべなくたっていいや。スイスチャード食べるから。
豚コレラ予防のため、山に入った時は靴の泥を落としましょう、とか言ってるけど、隅々までイノシシにほじくり返されてる山際の畑をトラクタで起こした後、全ての泥を落として帰るなんて芸当はできないよな。豚(に限った話じゃないけど)の過密飼育をやめろよ、先に。
耳が千切れそうに冷たい風が吹いた翌日、生温かい風に汗かいたり、常と異なる展開を異常に気にしないではいられない今日この頃。狂ってきたのは現象界か観念か。色即是空。(現象の方だろうけど)
多くの人が(誰もが、とは言えない)グレタのように愚直に思ったことを言える年齢を過ごしながらその時にそうしなかったせいで、なんだかんだと理屈をつけて正論を疎んじる年頃(おっさんおばさんの事だけど)にくたびれ着いて、つまりグレタを批判することは、おのれが醜くブクブクに太った事を恥知らずに正当化しようという哀れな試みに過ぎない。ねたみ。
労働者でもない老人がジーパンを履いていたら、いやだなあ。
でも、初めて「ジーパン」という言葉を聞いたとき、頭の中で「爺さんのパンツ」というイメージが発火したことは否めない。日本人なら身に覚えがあろう。ファッション雑誌なんかでことさら「デニム」なんて言い方をするのは爺さんパンツの呪いを頭から追い出すためだ。
子どものような感じ方をすることは、誰にも珍しい経験ではない。それを人に伝えようとすれば、ほんのわずかな瞬間に、AI には到底不可能(希望)な早業で年齢相応の注釈、訂正、言い訳、ごまかし、開き直りを付け足して見せる。自分でもそれに騙されて。感じたままを伝えようとすれば、お返しに馬鹿扱いされる。それは正当な報酬なのだ。笑って受け取ろう。
素通りするよりは蹴り飛ばせ。そうすることが避けられないなら、愛するものを踏みつけろ。おまえのバナナ足で。