2019年の田んぼ、機械化について

田んぼは、いい。いかにも農業っぽい。田植えしますと言えば農家のような顔ができる。だがこれは都会の感覚。農村では、先祖伝来の田んぼを領有しているがために仕方なく稲作を続けている人がたくさんいる。安くない費用を払い、全ての作業を委託して田んぼを維持することも珍しくない。それで、5畝ばかりの田んぼを手植えで田植えしてもほめる人はいないし、農家らしくみえるなんてこともない。

「三本鍬で手起こし、田押し車と自作巨大エブリで代掻き、手植え、手刈り、はぜ掛け天日干し、足踏み脱穀機で脱穀」ではじまった米作りも、8年経った今年は、「乗用トラクタで起こし、手押しトラクタで代掻き、バインダで刈り取り、ハーベスタで脱穀」という計画。機械を使わないのは手植えと草取りとはぜ掛け天日干しだけ。歳を取って昔のように動けなくなると(動ける気でいるからたまに怪我をする)機械の誘惑は抗いがたい。

今日も、30℃を超える暑さの中、トラクタに乗って畑を起こしていても、汗ひとつかかない。新しい色で塗りつぶすように土を砕いて進むトラクタ。その前方、右に左に青いカエルが逃げ惑う。ギリギリの間合いでタイヤから逃れるカエルたち。踏みつぶしそうになったら、俺はブレーキを踏むだろうか?単調な作業に軽く揺すられ続けて、かつて俺であった何かがさらさらと崩れはじめる。日焼け防止の長袖作業着に包まれた体のどこかに「堕落」の二文字が刻まれるが、俺は痛みを感じない。