ヤギとの対話の不可能性

2016年9月14日(水)曇り時々晴れ 17/27℃

朝から晴れる日が無い。干したいものが山ほどあるのだが、朝起きて曇り空を見るとがっくりする。六時頃ヤギ小屋の掃除に行っても暗くて足元がよく見えない。鶏の方はそうでもないから、北寄りに伸び続ける欅の影響だろう。根元に原木を伏せてあるので思い切った剪定も出来ない。時期を逃すと後で苦労する。

雄ヤギのギーが朝からけたたましい声で鳴き続ける。発情期だろうか。鳴き続けて、しまいには喉をヒューヒューいわせている。以前は、鳴き声がやまないと心配になっていちいち様子を見にいったが、この頃は放っておく。ヤギのオオカミ少年。あんまり無茶苦茶に鳴くから、メエーとは聞こえない。声だけ聞かせたら、これをヤギだと看破するものは多くはあるまい。

台所にナス、キュウリの山。株数は少なくても、毎日採れれば積もってくる。毎日、何かしらアブラナ科の間引き菜もあるので食材には事欠かない。料理のレシピと時間が足らない。

夕方、ヤギを散歩させて路傍の道草を食わすのが日課になっている。どこからともなくブヨと蚊が集まってきて顔の周りに煙のごとく付きまとう。ちょっと走ったくらいでは振り切れないし、走るとギーが興奮してランニングヘッドバッドを喰らわされるのでとても危ない。戯れに頭突きしてやった昔もあるが、この頃は重篤な負傷の危険性が高くて相手になれない。

ヤーとギーは従順なヤギではない。そもそもヤギがおとなしい家畜だなんて、どうして思っていたのだろう。こいつらは根っからのまつろわぬ民だ。押せば押し返し、引けば梃でも動こうとしない。まだ子どもだから辛うじて押しも引きも出来るが、時間の問題だろう。今のうちに交渉能力を高めておかないといけない。コンタクトインプロの経験は、ヤギと戯れるのには大変役に立つが、服従させるには無力である。服従させようというのが傲慢だとも思うが、多少言う事を聞いてもらわないと困る。

日が暮れかけて景色はモノトーンに近付く。おいもう小屋に入ろう、と言っても、ギーは全く耳を貸さず(ゼラチン質の厚い耳介は無防備にだらりと垂れたままピクリとも動かない)に黙々と草を食み続け、ヤーはこちらをじっと見たまま微動だにしない。おいヤー、と呼びかけながら、これがヤーである自信が薄れてゆく。森蔭の後ろから闇が降りる。二頭のヤギの輪郭がぼやける。すべての思い出は無効となり、どんな意思の疎通も今は不可能だという惧れが、頭の中に白くにじみ始める。