キツネがキノコを喰ってしまう訳でもなかろうが

晴れ 

最近メモリ付き温度計をリセットする暇もなく働いていた(3秒もかからないこうしたルーティンを実行できないというのは一体どういう訳なのだろう?日誌の三日坊主とセットになっている)ので、今日も気温が記録できない。ここ1週間の間に3.5℃の冷え込みが襲ってきた事だけは確認できる。火曜日の朝かな。終わった、という感じの寒さだった。ピーマンが霜にやられなかったのは僥倖だった。ただ、今咲いている花はもう実にならないだろう。夏野菜にいつまでも未練を残しても仕方ないのだが。

昨日、ササニシキ、ミヤギコガネの脱穀が終わった(この2種類しかないけど)。農家の1年の仕事納めのように都会暮らしの頃は思っていた「米の収穫」も、量的規模は大きいとはいえ、晩秋の、次々と期限の迫る仕事の一つである。かなりホッとして、他は少々うまくなくてもいいか、などと思ってしまうことはあるが。今年は凶作だった昨年の倍は穫れたろう。4畝、余裕のある詰め方で6袋、150kg はあると信じたい。我が家はこれで満足している。冷笑に微笑みを以って報いられるほどに。

最近グッと日陰がちになった畑では、ダメ元で播いてわりかた育った胡麻の実が青いまま元気を失ってゆく。今も元気なアマランサスはいつまでも小さい花を咲かせ続け、刈時を少しも予感させない。採る暇がなく朽ちてしまった何百粒ものミニトマト。来年は自然生えが更に広がって優柔不断な俺に間引きの決断を迫るだろう。

今年はキノコの当たり年と言われているが、野生のものは例年と変わらないように感じる。我が家が特異的に日陰とはいえ、村全体は南斜面だから乾燥するのだろう。夏の長雨の直後はまあまあ勢いがあったものの、今はサッパリだ。欅の下に並べていたナメコの原木も渇きがちで、出方が少ない。ナメコは半分土にイケル(埋めるの意)と教わったが、地際から出るものが土だらけになってしまうので、今年は広葉樹の樹皮を敷き詰めた上に並べてみた。結果、とっても水はけが良くなって原木に湿気が回りにくいようだ。毎日水をかけてようやく細々と収穫している。いいことも悪いことも少しづつ判ってくる。いいことも悪いことも、自分でやってみないと判らない。

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キツネだろうか、今、沢の辺りから獣の鳴き声が響いてくる。先日、夜中にそやつがけたたましく、しかも畑のすぐ先、つまり家のすぐそばで吠え続けるので、表に出て、こちらもウオーと吠えながら暗闇の中、手を打ち鳴らし、彼奴の声のする方へ進んでいったが、全く退く気配がなかった。こちらがホームなのかアウェーなのかよく判らないが、気合負けして引き返した。空を見上げると嘘のような星空。昴が、或いは俺が勝手に昴だと思い込んでいる星の固まりが、乱視のせいで殆ど白い靄に見える。どの星もどの星も連星に見えるのが悔しくてじーっと空を睨んでいると、流れ星がスッと流れて、我に返った。そりゃ、こういう舞台ではこっちの分が悪い。

キツネがキノコを喰ってしまう訳でもなかろうが、キノコや栗を集めたというゴン狐の話を、山暮らしの今日この頃は、全くの空想とも思えなくなっている。