秋っぽい

2021年8月10日 小雨のち曇り時々晴れ、昨日から吹き続く強風でトウモロコシだいぶ倒れた

倒れたトウモロコシを起こして間引き土寄せ。10日前にやっときゃ良かったよ。人生を通じて、ほとんどすべての仕事をもうちょっと早くやっとけばよかったと思っているし、これからもそう思い続けるのだろうどうせ。

日差しがないともう秋の気温、晴れれば猛暑。この辺りは暑いのはお盆までだが当局の当たらない天気予報では、お盆期間は大雨。コロナ騒動以降、週末や連休の天気予報が雨っぽい気がするのは気のせいか。人出をコントロールする実験でもしてんじゃねーのと陰謀を疑う。当然、GOTOなんとかが再開されれば、予報は逆になるんじゃねーの。

合州国の当局も重症化は防ぐが感染は予防できないと認めたワクチンの接種率が(金を持っている国だけ)じわじわと上がっている。俺ワクチン打ったもんね、もうマスク要らないし、ソーシャルデスタンスも関係ないね、という(老)人が増えた。怖れるべき事なのかどうかはさておき、ウィルスがかえって広がりやすい環境になったのは間違いない。当然、接種済みの集合の中で(その中でだけ)ワクチン回避の変異を促す力が強くなる。淘汰圧が高まるというのかな。

どんな力に促されてか、稲も穂を出す。

寄る年波に逆らわず(まだ「逆らえず」ではない)今年は手取り除草をしなかった。ブラックジャッ子は頑張ってたけど。私は専ら田押し車をグイグイ押し引きして、いつもより余計に雑草を取っておりましたので、いつもより早い時期に田草取りを終えた。雑草に打ち勝ったと思ったね。それで麦仕事や夏野菜の世話や機械修理に現を抜かしていたら(それみんなうつつだけど)、雑草全開、10倍返し。稲の根を傷めそうでもう田んぼの中には入れない。こうなるとあとは稲刈り直前に刈って歩くしかない。いろんな草の花が咲いてとてもきれいだ。来年用の種も十分に貯えつつある。毎年同じことの繰り返し。ああイライラする。お肌に悪いわよ!

肌荒れにハト麦。一株にあんまり実が着かないね。

こちらはブラックジャッ子の豆畑。これでもいつもより余計に草刈りされているようだ。人生早目にお手当、というやりかたもある。

こうしたら素晴らしいに違いない生き方がもし、あったとしても、みんなが右に倣えをしたら、みんなが同じというそのせいで輝きは消え失せる。つやつやして美味しそうな黒豆の中に、いびつなガルバンソが一粒混ざっていたら、それを食べたいと私は思う。

いつものカリカリの中にマグロの缶詰が混ざっていたら、それをおらは食べたい。by くにゅ。

 

 

空想とまなざし:世の中を見るやり方について

2021年7月30日 晴れ時々曇り夕方から雨、一時激しく降る

相変わらずどこの天気予報もあてにならない。 ウェブの気象データを睨んであたりを付ける方がまだましなくらい。予報も「大多数」を相手に「大局的」にやっているんだろうから仕方がない。小数、個別はそれぞれ各自でやればよろしい。データが公開されているということは本当にありがたい。

昨日29日の朝日新聞26面の隠岐さや香氏のコラムで引かれていた、「物理学史に名を残す」ダランベール(名前は聞いたことあるけど、、、)の言葉を孫引きする。

「接種は国家にとって国民の人口の分だけ試せる賭けだが、個人にとっては1回しか試せない賭けである。」

心配するのは非合理的ではない、無理強い(義務付け)はできない、と続く。国家とはこの場合為政者、お上のことである(なんで”家”なんだろう。ロマノフ家とかブルボン家、天皇家の家と関係あるのか。もとの言葉は”国”と訳していいのだろうけれど)。ダランベールがどこでどういう意図でこう言ったのかはさておき(さておいていいのか)、国は常に大数の論理、統計的な発想で考える。ワクチンを打つメリット、と国が言う時、日本のように1億の人口があれば、千人くらいは犠牲が出てもよしとする(そうしているようにしか思えない)。トランプが新型コロナ流行初期に、何万人なら死んでも「うまくやっている」と言ったか思い出そう。何万人だったっけ。

これは、国や菅義偉が悪いのではない(悪いんだけど)。誰でも、1億という数を相手にすれば、同じような考え方をせざるを得ない。じかに見ることのできない相手を遇するには空想に頼り、空想はしばしば妄想に侵される。やっぱり国という集合の規模が大きすぎるんじゃないか。一握りの責任者が取りしきれる範囲を超えている。日本の場合責任者すらどこにもいない。権力者だけがいて。つまり(つまってるのか)、人間のまなざしで見つめることのできる大きさではない。

たまに人間らしさを保ったまま全世界を見つめるかのような事を言う人がいるけれどあれはあやしい。そういう人に、あのもしオラのことも見えてるだかね、と尋ねるとおおもちろん見ていますよ、と優しく微笑む。もちろん、個別に見ているのではなく、全体的俯瞰的に眺めているのだ、周辺視野で。ところが人間はやはり個人として焦点を合わせてもらいたいから、俺のことは見えるか、私はどうだ、と次から次、ひっきりなしにその人に尋ねる。初めは仏の顔でええ見てますよ、なに、心配しないで、とニコニコしていたその人も、何万人と押し寄せる衆生を前に疲れ果ててしまい、とうとう目を半分閉じてしまった。仏様が半眼なのはそういう訳なのだ。四十数年前に鎌倉観光のバスガイドさんから聞いた話である。

脱線してるうちに考えていたことを忘れた。それ、問題は政権交代じゃない。天皇制の問題が男系女系じゃないように。オリンピックの問題が観客の人数でもないように。政権はあっていいのか?

話題を変えよう。これはタマゴタケ。夏に採れる貴重なキノコ。歯ごたえがあってバターで炒めるとうまい。食感はニギリタケと似ているかな。割と毎年同じところに出るんだけど、林道の手入れが行き届かないと、去年散歩ついでに寄れた場所が今年は鋸と鉈で切り開かなけりゃいけないてなこともあって、暇のない年は食卓に上がらない。今年見つけたのはたまたま。人生大体たまたま。という本『たまたま The Drunkard’s Walk』を最近読んでる。それで大数の論理という言葉はここから借りてるんだと思う。読んでたけど、NO繁期真っ盛りに突入したうえ、ヤギ仕事がまだ増えそうだからまた冬まで読めないだろう。

 

新じゃががうんと穫れた。生き物係さん(長いので今後「ブラック・ジャッ子」に改める。もっと長い)の収穫だけで去年より多いそうなので、これから掘る私の分を入れると、もうジャガイモ三昧だね。各種麦類も自家用にはまあまあ穫れたし、5月ごろに途絶えてしまった「黒パンとジャガイモの日々」再び。

 

 

2021年の梅雨明けもオリンピックもマジか

2021年7月15日

筑北盆地周縁に積乱雲多く時々晴れ、強く短い夕立

いきなり暑い。家じゅうぐったり。昨日玄関の地下足袋に黒猫だあだがおしっこをしてくれた。ので暑いけど長靴でNO作業。だあだは引っ越しの荷姿のまま奥の院(だあだが実効支配中)に積んである本の段ボールにもおしっこをしてくれるので、読まずに処分した書籍も少なくない。

雨を言い訳に見て見ぬふりをしていた野菜畑の草刈り。

・草に埋もれたハト麦を救出。ハト麦は初見参作物、麦というより小ぶりなトウモロコシといった草姿。

・これも初見参「浜ニュー黒ピー」だと思っていたトウガラシ属に「激辛とうがらし」が生っていた。苗段階で品種が混ざってしまい、実が着いてからのお楽しみ状態だったトウガラシ属4種、まずひとつ確定。

・ディル、人参(はねだしの種)、オクラ、小豆救出。ライ麦とクリムゾンクローバーの混合緑肥に埋もれた春菊とバジルの救助活動は明日以降に延期。

・試しに植えてみた捨て苗のカボチャが意外に育っている。他の作物を蹂躙する危険性は小さくない。途中で切ってしまうとか、できないクチである。今年はやるけど。

面積でいえば0.5haあるかないかのNO地。ここらが限界じゃないかと思う。

私がコロナワクチンを打たないいくつかの理由

・農毒薬(ファイザーは何を作ってるのかな)、遺伝子組み換え技術を憎んでいる。

・信用できない。審査が「特例承認」という「例外」なのに、「正式承認」としか言わなくなった。きっちり説明してもらいたい。また、ワクチン接種に起因する事故は国が補償するという触れ込みだが、因果関係を絶対に認めない。原発事故もそうだね。

・ワクチン義務化の同調圧力、プロパガンダ報道が多すぎる。自称専門家のワクチン安心解説は要らない。原発事故の後も自称専門家が大丈夫、逃げなくていいよと言い続けてたくさんの被曝者を産んだ。歴史から学ぼう。

・過疎地で日に一人、他人に会うか会わないかという生活で、能動被動感染リスクが低い。
村では余ってるみたいだから、ワクチン欲しいって人に回してあげてください。

・子どもにもワクチンを、てな風潮がこれ以上広がらないためにも、打たない大人が一定数いなければいけない。子どもを人体実験に巻き込むな。

・自然免疫でコロナウィルスをやり過ごす少数派(になりそうなワクチン熱の感染力!)人類の一人でいたい。つまり生物多様性の考え方だ。多様性はどうしたマクロン、冒涜する自由は認めてもワクチン拒否は認めないのか。

その点、何事につけアメリカ様の顰に倣う日本は今のところ義務とは言わない(無い袖は振れない)。自由も平等も握る力が尽きたらさようなら。金の力で握るって?ああ、そう。

2021年の梅雨明け間近

2021年7月14日 曇り時々晴れ

縁側のすぐそばに雨水桶があり、雨樋の水を集めて庭先の雑事に用立てている。今時分はボウフラの養殖場になって具合が悪い。そのせいか、蛙が集まってくる。夜、そいつらがけたたましい声を立てて鳴き喚く。たいがいデュエットかトリオで賑やかにやる。それ以上の合唱があるのかどうか、そこまで真剣に聞いてみないから判らない。豊かな倍音で耳が痛い。蛙の宿、だったか、旅先でカエルの合唱に悩まされる話を思い出す。郵便受けに糠味噌を詰めたりする話だったか、どうだか。

一日中或いは日に一度は激しい雨が降らないでは済まなかった梅雨ももうじき明ける。梅雨の晴れ間というものがなかったおかげで、玉葱、ニンニクの収穫が辛かった。これらの穫り入れに関して、菜園の指南書にはたいてい「梅雨の晴れ間を見計らって2~3日畑で干す」とか「数日晴れて畑が乾いたタイミングで収穫する」などと書いてある。梅雨の晴れ間が無い時の対処法は無い。
長雨で嫌んなっちゃって何をするのも後手後手、ニンニクなんか激しく採り遅れて引っこ抜こうとすると茎の外皮だけ抜ける、死体の手を引っ張ったら肉だけ抜けるところを想像したりして気が滅入った。

梅雨の晴れ間に人参を播こうと思っていたら今日まで時機を逃し続け。半月前に草を取って用意した畑もすっかり草だらけ。除草剤もワクチンも使わないからこれは仕方ない。午前中は降らない予報だったから、三角ホーで播き溝のとこだけ削り取って播いた。種はたくさんある。つい厚播きになる。どうせ土砂降りの雨に叩かれるんだから土もかけない。というより、パラパラ撒けるような状態の土は無い(パラとかオリを思い出して腹が立つ)。明日燻炭でもかけておこう。

こういう時に限って、雨が降らない一日だった。

田植えの思い出

2021年6月19日(金) 雨

激しいにわか雨の数日間をやり過ごし(スペルト小麦はあまりうまくやり過ごせなかったようだが)、いつもの梅雨時の天気。いつもの、というのが意味をなさなくなってる今日この頃。

今年は夏野菜の苗を作りすぎた。管理しきれなくて老化する苗が続出。移植した後の手入れもできず植えっぱなし放任状態。時間がないのが分かっているのに、小さい片隅の雑草を馬鹿丁寧に抜いてみたり、今やらなくていい剪定をしてみたり。現実逃避行動ですね。明日までに仕上げなければいけない課題があるのに机の周りを徹底的に整理しだす、そういう昔を思い出す。今日も昨日も植え付け間際に畑の準備、てんやわんやも極まれり。

PCR検査数のグラフが右下がりになるのと完全に同期して「報告された感染者数」も減り続ける新型コロナ。このどうしようもないデータを根拠にどうしようもない政策があれよあれよと繰り出される。まだ遅くない、オリンピック止めよう。パンデミックじゃなくてもね。この国家主義のプロパガンダ合戦。この国の一員でよかった!とか本気で思えるコクミンを量産し、不良品を相互矯正するための。

先日、ワクチン接種予約券、というものが届いた。3日程してよく見返したら、もう予約期限が切れていた。ワクチン打つ気は全くないからいいけどね、、、

もう半月も前の話だけど、コロナシフトで今年も田植えはオンライン。

6月5日から9日頃。頃って何だよ。今年は記録が全然つけられないし、計画も立てられないんだよな。元々のそういう性向が増大しつつある。これが老化というものか。額も年々秀でてくるし。今気づいたけど秀でる、と禿げるは字が似ているね。

代掻きがうまくいかなくて、田面は硬軟高低入りまじり、条付けに苦労した。条付け道具は去年作った5本歯のもの。去年の田植え直後、来年までに、もっとたくさん条を付けられるように作り直そう、と決意していた。今年も決意した。来年もするだろう。

今年はあきたこまちと朝紫の2品種。黒モチご飯がかなり気に入ったのと、白くてよく伸びるモチに未練もないことから、白糯の作付はやめた。苗は密播でぎっしり育ったので、余ったら損だと5本植え6本植えをしていたらあきたこまちが途中で品切れ、想定外に朝紫の比率が高まった。朝紫4箱、あきたこまち8箱、予備で苗代に直播しておいた苗を三百本くらい使った。

手作りピザでおさなぶり。

なんかピンボケ画像がでかいけど、もう修正しきれない。おやすみなさい。

2021年の梅雨入り

2021年5月17日(月)雨一時晴れ後たぶん雨

お上の出す「宣言」はいつも遅い。緊急事態も梅雨入りも。上手いタイミングで出せという訳ではない。おのれに「宣言」する権威があるかのような妄想を捨てろ、と言いたい。「宣」言はもともと王権、覇者の口中に巣食うウィルスであり、気まぐれなクシャミでひとたび下々の頭の上に撒き散らされると、あとは民草の「従順」を栄養にしていくらでも増えてゆく。そうであれば『共産党宣言』などというのはトンチンカンな訳語に思える。一党独裁が王権の言い換えである限りにおいては的を得ているが。

早すぎる梅雨入り模様。頭の中だけではギリギリ間に合っていた栽培スケジュールが大雨で流れ去ってゆく。今年も季節を追いかけて(そして追い付けないで)仕事に追われ、気が付いたらすっかり歳を取って、いつの間にか深淵に近づいて行くのであるなあ。歳を取ると言えば、もう2年も素顔を見ない街場の人々は、マスクを取ったら玉手箱だ。

暖かくなるのはほっとするが、ストーブを焚けないとパンが焼けない。10年前から温めていた石窯計画を今年は動かそう。たぶん。

人はパンのみにて生きるにあらず、でも黒パンがあれば幸せに生きていけるかも

2021年3月29日 晴れ

早朝の冷え込みも緩む。昼間は半袖で過ごせる。むしろ暑い。

晴れて暑い日が続いたり、曇りや雨で冬のように寒い日が訪れたりするので季節外れのナメコが出た。うれしい反面、こわい。きれいな球体を形作ってクルクル回っていた硬貨が、回転スピードを失って揺れ始めると、決して元には戻らない。断末魔、ドラムのロールのような音を立ててエントロピー最大の状態を迎える。おしまいの日は想像以上に早い気がする。

それでも我々は生きる。生きるためには食べなければいけない。

この頃、薪ストーブでパンを焼く新しいやり方を考えた。これまでは、ストーブの炉内を釜のように使っていた。今はこうだ。


天面に型を置いて、


大きいステンレスボールをかぶせる。
200~250℃、30~45分で焼き上がる。このやり方は、炉内焼きに比べて温度調整が格段にやりやすい。ストーブの周りに燃えやすいものを置いてはいけません。


今朝焼いた黒パンと、生き物係さんがアサヒ軽金属のお鍋で焼いたチョコレートケーキ。20年くらい前のデジタルカメラのメモリースティックを使った画像なので(なので、かどうかは本当は分からないけど)、クラシックな雰囲気。『モルドヴァ地方の料理』とか、『チェコ家庭料理365日』みたい。

自分で作るから、というせいでもあるけど、こうやって焼いた黒パンはとってもおいしい。諸般の事情で自家製粉を使えない今日この頃、来年は小麦もライ麦もスペルト麦も燕麦も自給する!と固く誓っている。ハト麦もそろそろ播き頃。

何はともあれ、抱えられるものだけは抱えて山暮らしに間に合ったのだ。何という幸せ。山野で暮らした大昔の記憶が体の中で疼く。ぴったり嵌り込める原型を抽象しようと。自動書記的に。私自身はいつも深くて大きい穴を見下ろしている。

 

 

朝食に見る今年の日常 1月

去年ライ麦が全く穫れなかったので、年末に富澤商店でライ麦粉を5kg買った。鳥越製粉のヴァンガーラント。舌触りの好みでは中挽きまたは粗挽きだけど、これはふくらみやすいから小麦粉に混ぜて使うのにはいいかもしれない。

という訳で、うちでは今年は毎朝手作りライ麦パンを食べている。

1月2日、生き物係さん作、ライ麦入りブロートヒェン、キャベツとジャガイモ。基本的に丸パンとおかずは生き物係さんが作っている。

1月7日、ライ麦パン。ローフ型を使うのは私の手によるもの。ブドウ酵母。やや生焼け。

でも底は黒い猫、だあだ。

8日、黒パンとジャガイモとソーセージ炒めチーズ掛け。

10日、黒パン2種類とソーセージとキャベツ。

11日、黒パンとキャベツとジャガイモと栗豆。

生き物係さん作、バースデイケーキ。パチパチ。

13日、黒パンと栗豆。ヤギのうんこに少し似ている。

14日、黒パンとジャガイモのオムレツ。生き物係さんの丸パンはトースターで、私のローフはこのストーブに型を突っ込んで焼く。

15日、黒パンとソーセージとジャガイモ。

16日、ライ麦ちょっぴりパンとジャガイモ。

18日、今日は蕎麦でも挽いてみようか。玄蕎麦は地元「薬師会」から頂いた物。調整方法手探りで500gに2時間。

20日、左のフライパンには頂き物のレバーケーゼ。名古屋のドイツ仕込みマイスター作。うまい。

21日、黒パンとマイスター腸詰とジャガイモ。ドイツっぽい。

22日、表面にオートミール。大麦使うレシピの応用。

24日、丸パンはサフ、ローフはライサワー種を使っている。

27日、黒パンと腸詰とキャベツ。こりゃコーヒーじゃないだろ。

28日、黒パンとレバーペーストとジャガイモ。ヒラタケのしょうゆ漬けがジャガイモに合う。

31日、蕎麦粉のスターターを使ったピザ。

1月は黒パンとジャガイモばっかり食べてたなあ(朝は)。

異常気象とマムシと麦とかめとうさぎとベラルーシについて

2020年11月18日 晴れ

暖かい一日。昼間は日差しがまぶしく、暑いとさえ感じた。11月上旬は氷点下の朝、10日前からはひと月前の気温。寒波をしのいだ蜂が飛び、カエルが土から這い出す。優しい情景の裏で何が起こっているんだろう。大根、カブ、ビートのためにはこの暖かさが続いてくれるのはありがたいけれど。

10日前、一部収穫した大根

引っこ抜いて置いといた大根の葉の中にマムシに似た生き物がまぎれている。シマヘビも子どもはマムシのような模様だと聞いたことがあるがさて、こいつは。

この反応は、マムちゃんかな?

今年は5回くらい、小さいマムシに遭遇した。どれも稲刈りシーズン後だから、子マムシが生まれる時期でもないんじゃないかと思う。今のところ咬まれなくてよかった。

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麦播き。

小麦は南部と品種不明の2種類。播種は10月末。今年はズク出してたくさんの南北畝。手前の2間ほどはどうにも水が引かないので麦はやめておいた。里芋とか。

元田んぼの畑、2年前に初めて起こしてから、年々粘土っぽくなる気がする。下層に沈んでいた粘土を掘り起こしちゃったのかもしれない。今年は水はけ改善に北側(後ろ側)に水路を掘った。頑張って深堀りしたら、水田時代の排水口よりも深くなった。雨が続けば排水しきらないという事だ。まあ仕方がない。そのうちなんとかしよう。

こっちはライ麦。11月8日播種。野口種苗の種から自家採種10年目のものと品種不明の2種類。昨年は完全に失敗したので気合を入れて新規播き直し。でも失敗したせいで種が足りない。畑の半分も播けなかった。

ここも元田んぼで、除草を怠けるとあっというまに湿原性雑草に覆い尽くされる。昨年はライ麦の春播きを試して全滅した。排水路を整備していないのでこれからの課題。下の画像は播種から10日、今日の様子。

近寄るといくらか生えてるんだけどね。

この前の土曜日、今春開業する予定だった友人のパンとおやつのカフェ「かめとうさぎ」が聖高原駅前にオープンした。一昨年あたりから村内は飲食店開業ブームで、定食屋やらカフェやら3軒も続けざまにオープンしている。一応、すべて一度は行ってみたけど、やっと真打ち登場、という感じ。コロナ自粛がなかったら群衆が押し寄せて大変な騒ぎになるとこだった。

NO場の小麦ライ麦ディンケル小麦、野菜も「かめとうさぎ(店名、「かめとうさぎとやぎとねこ」のほうがいいんじゃない、と提案したらスルーされた。)」で使ってもらう予定。できなかったらそれまでよ、と自由NO民の誇りに満ちていたイキアタリバッタリコンタクトインプロな暮らしももはや、今までよりは少しNO作物の出来映えを気に病むことになりそうだ。お店の情報はフェイスブックにあるような気がするね。

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ベラルーシの抗議デモが100日を超えたそうだ。ミンスクの新聞社『Народная Воля』のwebの映像では、少し前から「治安部隊」の中に、ジーパンだのジャージだのの上から防弾チョッキを付けて装備一式を腰に巻き、ヘルメットの代わりに黒いキャップをかぶった奴が混じっている。「警官」ということになってるけど、どうみても寄せ集めの志願者だろう。数日前、この新聞社に治安部隊が押し入って刷り立ての新聞を押収したらしいが、今度は印刷所(モスクワ)が契約を反故にしたという。電子版はまだ見られる。

しかし、機械翻訳は恐ろしく進歩した。いつかころりと騙されるんじゃないかと心配している。ロシア語読めるようになりたいと思って、もう30年近く経つ。もちろん、まだ読めない。

秋深し。それも突然。

2020年10月26日 晴れ 3/18℃

「秋らしい陽気が長続きしねえだもん、椎茸作ってるしょうなんほー、諦めちゃってせ。」

筑北村坂井の直売所「まんだらの庄」で聞いた話。「しょうなんほー」は「しょう(人たち)なんかはさー」の意。「椎茸を作っている人たちなどは諦めてしまっている事よのう」

猛暑の後は長雨、やっと「秋」になったと思ったら朝晩初冬のような冷え込み。平均気温はデータの上では平年より少し暖かいそうだが、最低気温は平年値より低い。平均気温、体感とはかなりズレがある。昨日の朝は、軽トラのシートに溜まった雨水が薄く凍っていた。

ベラルーシの状況、「ベラルーシの部屋ブログ」 に詳しい。マスコミの報道はとても少ない。ドラフト会議は大見出しでつたえるのに。記事にするには生贄の血が足りないって事か。

ルカシェンコはジャガイモと乳牛を愛する大統領だそうだが、「権力と金」は「ジャガイモと乳牛」に似合わない(ホクレン幹部はそう思わないだろうけど)。でもね、金が十分にあるから、より純粋に農業を愛せるのかも知れないな。ジャガイモの山を見ても金のことを考えなくていいんだから。もちろん俺だってNO作業の最中は金のことなんか考えない(誰だってそうだろう)。けれど収穫物を前に、収入の計算を全くしないで済ますという事はありえない。王様になってNO作業したいな、馬鹿のイワンみたいに。それとも金の要らない世界になれば、、、。

いや脱線した。自由と尊厳を彼らに。

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通信問題のその後の顛末。

携帯とPCをつなぐコードが規格違いだった件。再び片道45分ドライブしてauショップに行ったね。さあ携帯に挿し込めるコードと取り換えてくれるのかと思いきや、当該規格のコードはありませんので、変換アダプタを追加で買ってくれという。なんか、山奥の爺さんだと思って馬鹿にしてるのかなあ。いやいや、この末端の非正規労働者に腹を立てても仕方ない。ぎこちなくにこやかにコード自体を返品した。のちに、セブンイレブンでさえ当該規格のコードを置いていることがわかった。まだ買ってないけど。

新しい携帯が自宅周辺で使い物にならない件。今月初旬、電波サポート24の調査員という人間がやって来た。専用の計測装置で電波状況を調べてくれるんだろう、イメージでは昔の肩掛け式携帯電話みたいなやつ。と思いきや、慇懃な前口上の後、ポケットからスマホ(俺には彼個人のスマホに見えた)を取り出すと、うちの周りをしばらく歩いて、私のスマホ(やっぱりあんたのスマホでしたか)は全くアンテナ立ちませんね、と嬉しそうに言う。俺のアンテナは一本立ってた。レピータ、ダメなんですか、と訊くと、ちょっと効果が期待できないので、、、。それでおしまい。レピータを貸してもらえるかどうかは、調査員の恣意的判断に委ねられているといってよい。

畑に出ればつながるんだし、まあいいか。親を含むおじいさんおばあさんからの危急の連絡に備えるため、という機種変更のそもそもの目的は全然果たせないんだけど。スガソーリがみんなに好かれようと思って携帯料金下げさせると言ってる。高い料金下げてもしょうがない。税収落ちるぞ。やるなら最低維持費を下げてくれ。デジタル化とかいって緊急時の必須インフラになるような道具なんだから、すべての国民が負担なく使えなけりゃだめだろうよ。非国民は蚊帳の外か。

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明日からしばらく晴れ予報。麦播く人になりましょ。

蝶のように舞えず、蜂のように働く。