殺すな

2018年7月7日(土) 17/23℃

降り止まぬ雨。長時間の仕事ができないから体は楽だ。楽なはずなのにだるさがまとわりつく。

麻原彰晃は実に多くの人々の贖罪の生贄或いは目眩ましとして殺された。罪の隠匿。もちろん私に罪は無い、何故なら悪は麻原の上にあるのだから。殆ど殉死のような形で一緒に殺された6人。彼らに死をもって償わねばならない程の罪はあったのか、悪いのは麻原ただ一人だったのに、という論調。俺にはむしろ、麻原こそが凡庸な悪人に見える。たまたま、そういう立ち位置に居合わせてしまった。では実行犯たちは?サリンの袋を傘でつついて、「これをやれば大勢の人が死ぬ結果になるだろう、けれどこれをやることが私のために必要(自己実現、魂の救済?)なのだ」。では例えば原発を動かす立場の人々は?原子炉を燃料棒でつついて、「これをやれば確率は低いとはいえ大勢の人が死ぬ結果になるだろう、けれどこれをやることが俺のために必要(経済的利益?)なのだ」。

麻原の処刑に胸のつかえが取れたなどという談話を垂れ流して世論を偽装するマスコミ人たちよ、あなたたちはなぜ同じ規範で以って戦争の最高責任者だった昭和天皇の処遇を求めなかったのか。絶対者の独裁。それを必要としたのは誰だったか。指導者への熱狂。監督、司令官のいる集団競技を盛り立てて戦時の予行演習でもしてるんだろうか。ニッポン、ニッポン、ニッポンバンザイ!高校野球の優勝旗なんか、旭日旗を鳩が羽で覆い隠してるデザインだよ。

死刑に反対する日本人は多数派ではないのか?憲法改変の前に、死刑の是非を議論するべきではないのか。いや、憲法改変でもいい。現行の第一条を排して、新たな第一条で国内外を問わず国家による殺人を、国民の総意に基づいてやめさせよう。

極刑は「死」の魅力で以って新たな殺戮を駆動する。刑の執行に手を染める(実際は自分の手は汚さないんだけど)権力者がまったく尊敬されない状況においては特に。

「おまえは死刑だ」と簡単に口にする気分が蔓延しつつある。口にするだけではきっと済まない。