味噌仕込みと狸の死

2016年3月2日(水) -8.5/8℃

今年は春が早いなあ、と緩む季節に浮かれ心を解きかけていた矢先、寒の戻り。昨日は雪も積もって久しぶりに雪掻きもした。

2月29日から3日間、筑北村の農産加工施設で手作り味噌の仕込み。永遠に工事中の農家民宿「しとや」の内山夫妻にご一緒させてもらった。詳細な記録を残す心算が、慣れない作業に追われてメモも写真も取らずにしまった。だいたい農村の作業は手が汚れることが多いので、ノートやカメラに手が出にくいのだ。できるだけ手順と要点、問題点を思い出してみる。
材料;出来上がり推定40kg
大豆10kg(丸大豆:黒大豆=7:3)
米 10kg
塩  5kg
麹菌一袋、市販のもの。

豆は自家の自然栽培のもの、米は内山さんの有機米、塩はオーストラリア原産の天日塩。麹菌は品名を控えるのを忘れた。

第1日目 麹作り
a・予め浸水したお米を蒸す。1時間半。
b・大豆を洗い、浸水。
c・蒸し上がった米に麹付け。
d・3の麹米を発酵器で38℃に保温。過熱防止ファンを36℃に設定。

・お米の蒸上りがやや硬かった。浸水か加熱の不足だろうか。内山さんは加熱が長過ぎだという。

・発酵の具合は、できることなら夜中に一度確認したいが、加工所のシステム上不可能。

第2日目
a・麹のお手入れ(切り返し)1回目。1-a から26時間後。
発酵器で37℃に保温。過熱防止ファン38℃。
b・大豆を煮る。煮立ったら一度火を止めて余熱で。
c・麹のお手入れ 2回目。2-a から6時間後。
発酵器でヒーターを止めて保温。過熱防止ファンを40℃。
d・大豆煮上げてザルに上げ、ミンチャーで擂り潰し。

・大豆の煮上りが少し硬かった。親指と小指でつまんで潰れるくらい、とか、ハカリに押しつけて潰れたときに500gとかの説があるが、筋力や豆の種類で差があるだろうから、これは経験を重ねるしかない。

・大豆を煮上げるタイミングも早かったか。3日目の、混ぜ合わせの少し前がいいかもしれない。農作業でも同じ事だが、待つべき時にどっしり待てる胆力が必要だろう。

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麹のお手入れ中。

第3日目
a・麹完成。2-c から18時間後。パラパラになるようにほぐす。
b・麹、大豆、塩をミキサーで混ぜる。混ざり具合を見て豆の煮汁を足す。

・麻績村の加工所を使った過去2回の味噌仕込では、仕上がりがかなり水っぽかったので、今回はあとから足す煮汁の量を控えた。1Lくらいか? 結果、割とボソボソした感じに仕上がった。いいのか悪いのかは1年後にわかる。

・塩分量は計算上、12.3%。この頃の減塩ブームの基準では少し辛口。水控えめ、塩多めはカビ対策でもあるのだが、果たしてどうなるか。

・この日は滝ちゃんも参加して手伝ってくれた。もう大嫌いな降圧剤も飲まないで自由を取り戻しつつあるようだ。命がけで自由を守るその生き方にしびれる。囲炉裏で暖を取り、炊事する生活の上、こすり洗いもまだ難しいので、滝ちゃんの手の掌紋、指紋は炭で真っ黒、洗っても取れない。麹を混ぜるのを手伝ってもらう前に、滝ちゃんこういうの嫌いだろうけどここのお約束だから、とかいかにも面倒くさそうな顔をしながら滝ちゃんの手をアルコールスプレー責めにした。いやはや、偽善者!けれど、清潔な無菌室(?)で純粋培養される現代の麹菌が滝ちゃんの(もちろん我々のも含めて)野性味あふれる皮膚常在菌に勝てるとは思えないのだ。かつて素手で丸めた味噌(の素の)玉を吊るしてカビ付けしていた時代には、麹菌も野性的な生命力を保っていたことだろう。というか、野生の麹菌を利用していたわけなんだから。来年は伝統的な製法でやってみようか。

第4日目(今日)
出来上がった味噌の素を樽に詰め替える。空気が入らないようにきっちり押さえていく。
ラップをかけ、重しを乗せて漬物部屋で貯蔵。作業終了!

・樽詰めは翌日である必要はなく、単に家に帰ったらもう疲れていたし、氷点下で寒くてやだくなったから。

・前回までは、味噌(の素)を樽詰めした上に酒粕を敷いていたのだが、今回は入手の手間を惜しんでラップ掛けで済ませた。

*          *          *

昨日、加工所からの帰り道、お隣さんに寄ったら、家の裏の沢沿いの斜面に狸がうずくまってブルブル震えていた。こいつは、その朝、うちの納屋脇の下屋で半分のびていて、俺の足音に驚いて小屋奥の物陰に這い込んだ狸に違いない。加工所へ出掛ける時間で急いでいたのでほっといたのだが、多分猫たちに追われてここまで逃げてきたのだろう。すっかり弱って、人間三人が近くで取り囲んでも一歩も動けない。可哀想とは思うが、どうするわけにもいかない。よりえさんは、うちに近づかれちゃ困る、と言いながらも、まだ子どもだねえ、などとつぶやいてくれる。

家に帰って、あまりの寒さにもう仕事はやらぬことに決めて、ストーブにあたってヌクヌクしながら、ブルブル震えていた狸の事が気になった。表に出て狸がいた辺りを見遥かせば、よりえさんが狸のすぐそばで後ろ手して立っていたが、やがて、仕方ない仕方ない、とでもつぶやきながらであろうか、ノロノロと家に入っていくのが見えた。

坂を下って見に行くと、狸はもう横向きに寝て震えることも出来ないでいた。バター付きのパンを口元に投げてやったが、関心を持った様子もない。馬鹿なことをする、と思われるかもしれないが、その時俺は前夜にたまたま読んだ福音書の、臨終のキリストにぶどう酒を飲ませようとする場面を思い出していたのだ。

臨終の狸の腹側はカサブタで毛がすっかり抜け落ちている。やはり疥癬だ。もうどうしようもない。どうしようもないが、放っておくわけにもいかない。よりえさんが困るだろうから、と理由を付けて、狸を段ボール箱に入れて持って帰り、朝、狸が横たわっていた下屋に置き、古着を段ボールに詰めておいた。首根っこをつかんで持ち上げた時にも身動き一つしなかったから、今夜のうちに死んでしまうだろうと思った。どうせ手当てをしないで見殺しにするのだから、狸らしく野垂れ死にさせないのは、少しでも人間らしいことをした気になるために過ぎない。

翌日、つまり今日の朝、仰向けに寝ている貌の細長い猫をさすっている夢を見ているところで目が覚めた。部屋も寒かったが、外はもっと寒かった。下屋に行き、段ボールの隙間からつついてみると、狸はすっかり硬くなって、凍ってしまったのか死後硬直なのかも判らなかった。

一日、晴れていい天気だったが、まだ春が来たとは思えない。