どうでもいい考え事について

2015年12月5日(土) 晴れ -0.4/17.4 ℃

やっと晴れた。プリプリ怒る人がいないのをいいことに朝寝坊、猫飯は7時半、鶏飯は8時近かった。みんな、許せ。明日は早起きするから。

鶏小屋に入るのは久しぶりなので、いちいちの仕事に時間が掛かる。生き物係さんが手塩にかけた5羽娘は人懐っこい雌鶏に育った。俺に対しては用心深かった雄鶏のイワンも感化されたのか、いくらでも抱けるようになっている。卵も頑張って生んでるな。産卵箱6つもあるのにみんな同じところで生むから5個てんこ盛りだ。かわいい奴らめ。これじゃあ卵産まなくなっても手塩を擦り込んで料理してしまう訳にはいかない。

日差しのあるうちにと布団を干したり豆を日向に広げたりして、薪を集めに山に向かったが、途中のカブ畑でオロヌキ、大根畑で種採り母本の選抜と植え替え―カブも大根もこの期に及んでまだ小さい。冬の漬け材料に間に合うか?―をやったら午前中は終わってしまった。仕事の合間合間に考え事をするので時間がいくらあっても足らない。

午後は薪集め。だが、山の中では他のどこにいる時よりも考え事に耽るので、全く捗らない。

野山の考え事は木立や遠い山並み、空、そして未来に向かう。そうやって遠景に吸い込まれてゆく考え事は次第にそれが誰の考え事なのかも曖昧になって考え事と現実―現実と言えば、最近、『MATRIX』を観た。若い時に繰り返し見た、世界の背景が剥がれ落ちる夢を思い出した―の世界とどちらが本当なのかどうでもよくなる。そういえば、未来を想ってもそこに死の予感は現れない。死を思うのは総じて屋内、特に風呂とかトイレのような狭い空間にいる時だ。生身の体が見えるのと関係があるかもしれない。或いは視界の深さ?

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午後3時にもなると冬の我が家は西の唐桧の陰に呑まれる。晴れていても空気がみるみる冷たくなり、まるで一日の終わりのような気になる。3時には猫の諸君は家に入っているのでそのまま少し早い夕猫ご飯にする。黒猫だけ強情に日陰で日向ぼっこのふりをしている。黒いから蓄熱しているのだろうか。

続けて鶏飯、集めてきた柴折り、風呂を焚いて夕餉の支度をして、、、。生き物係さんの毎日の仕事に対する感謝の気持ちを新しくする。ゆっくり息抜きして来て下さい。

 

RussiaToday によると、プーチン大統領、教書演説だと思うが、ロシアは世界最大のNon-GMO food、つまり遺伝子組み換えではない食品の輸出国になる、と言っている。公式発表では、すでに全土で遺伝子組み換え作物の栽培を禁じている。安倍総狸、ポロシェンコ大統領にも見習って欲しいものだ。オバマ大統領は、まあ無理だろう。農産品の輸出が増えた分、武器輸出を減らしてくれたらもっといい。