薪割りの効能について

2015年12月6日(日) 曇り時々晴れ 0/4.9 ℃

ここ麻績村では毎年この時期に野鼠駆除のために全村一斉、田畑に「ヤソジオン」という猛毒の殺鼠剤を撒く。毒薬は農家組合に所属する―駅前の住宅地はどうなっているか知らないが、ここは転入と同時に自動的に加入させられていた。最初の2年くらいは、自治会=農家組合に気が付かなかった。誰も教えてくれないし―全戸に半強制配布され、使わなかったうちは各自で「土に埋めて処分」しなければいけない。役場は回収しない。そもそもこの毒薬散布を強いるのは農協なのだ。農協と役場の区別もよくわからないが。こうした毒薬を始め、鎌、鉈、銃に至るまで、農村では、ほぼすべての住民が殺傷力の高いアイテムを保有している。都会で同様の武装が行われれば、殺人沙汰が日常茶飯事になるのは絶対に避けられないだろう。この一事から、村人のコミュニケーション能力のレベルの高さがわかる。ダーウィン的に解釈することも可能ではあるが。

とりあえず、しばらくは我が家のネズミハンター達の動向に注意しておかなければならない。毒を喰らったネズミを食べて命を落とした猫たちの話を、この集落でも何度か耳にした。

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さて、薪割りの効能について。

1、薪ができる。
調理、風呂焚き、暖房のエネルギーがまかなえる。

2、適度な運動になる。
一回一時間に収めれば。基本的に鍬、ツルハシと同じ筋肉を使うので、やりすぎるとNO作業に差しさわりがある。

3、瞑想の効果がある。
薪割りをしている時は、薪割りの事しか考えない。薪が上手く割れた瞬間には、丸太と一緒に自分も割れているのである。自分が割れて精神統一になるところが面白い。ストレス解消を謳った「薪割り体験」ビジネスだって(たぶん)成立し得るが、人にやらせたら、何のために山で暮らしているのか判らなくなってしまう。

このように有用な薪割りだが、この間までは生き物係さんがコツコツやっていた。一昨日から留守番、自分だけの用事のために人の作った薪を使うのは気が引けるので、今日久しぶりにやってみた。たまにやると面白い。毎日の仕事になってしまえば、こういう能書きを垂れる元気もないだろう。いや毎日やらなきゃいけないけど、本当は。

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カリフォルニアの銃乱射事件で、オバマ大統領がテロ対策について、明日の朝(現地は日曜日午後8時のゴールデンアワー)演説するようだ。やっと目が覚めて、本気で銃規制に乗り出すか。その場合、ついこのあいだカラシニコフの製造を始めたばかりの業界をどう説得するのか?アメリカ国内での銃の所持を厳しく制限するかわりに、シリアに歩兵付きで輸出するとか。アメリカらしいけど。

銃があるから撃ちたくなるのと同様、軍隊が強すぎるからつい外国に攻めて行きたくなるのだ。のらくら生きることの喜びを。

 

どうでもいい考え事について

2015年12月5日(土) 晴れ -0.4/17.4 ℃

やっと晴れた。プリプリ怒る人がいないのをいいことに朝寝坊、猫飯は7時半、鶏飯は8時近かった。みんな、許せ。明日は早起きするから。

鶏小屋に入るのは久しぶりなので、いちいちの仕事に時間が掛かる。生き物係さんが手塩にかけた5羽娘は人懐っこい雌鶏に育った。俺に対しては用心深かった雄鶏のイワンも感化されたのか、いくらでも抱けるようになっている。卵も頑張って生んでるな。産卵箱6つもあるのにみんな同じところで生むから5個てんこ盛りだ。かわいい奴らめ。これじゃあ卵産まなくなっても手塩を擦り込んで料理してしまう訳にはいかない。

日差しのあるうちにと布団を干したり豆を日向に広げたりして、薪を集めに山に向かったが、途中のカブ畑でオロヌキ、大根畑で種採り母本の選抜と植え替え―カブも大根もこの期に及んでまだ小さい。冬の漬け材料に間に合うか?―をやったら午前中は終わってしまった。仕事の合間合間に考え事をするので時間がいくらあっても足らない。

午後は薪集め。だが、山の中では他のどこにいる時よりも考え事に耽るので、全く捗らない。

野山の考え事は木立や遠い山並み、空、そして未来に向かう。そうやって遠景に吸い込まれてゆく考え事は次第にそれが誰の考え事なのかも曖昧になって考え事と現実―現実と言えば、最近、『MATRIX』を観た。若い時に繰り返し見た、世界の背景が剥がれ落ちる夢を思い出した―の世界とどちらが本当なのかどうでもよくなる。そういえば、未来を想ってもそこに死の予感は現れない。死を思うのは総じて屋内、特に風呂とかトイレのような狭い空間にいる時だ。生身の体が見えるのと関係があるかもしれない。或いは視界の深さ?

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午後3時にもなると冬の我が家は西の唐桧の陰に呑まれる。晴れていても空気がみるみる冷たくなり、まるで一日の終わりのような気になる。3時には猫の諸君は家に入っているのでそのまま少し早い夕猫ご飯にする。黒猫だけ強情に日陰で日向ぼっこのふりをしている。黒いから蓄熱しているのだろうか。

続けて鶏飯、集めてきた柴折り、風呂を焚いて夕餉の支度をして、、、。生き物係さんの毎日の仕事に対する感謝の気持ちを新しくする。ゆっくり息抜きして来て下さい。

 

RussiaToday によると、プーチン大統領、教書演説だと思うが、ロシアは世界最大のNon-GMO food、つまり遺伝子組み換えではない食品の輸出国になる、と言っている。公式発表では、すでに全土で遺伝子組み換え作物の栽培を禁じている。安倍総狸、ポロシェンコ大統領にも見習って欲しいものだ。オバマ大統領は、まあ無理だろう。農産品の輸出が増えた分、武器輸出を減らしてくれたらもっといい。

2015年12月4日(金)  曇り時々雪  1/4.9 ℃

夕べの雨は夜更け過ぎに雪へと変わったのだろう、うっすらと積雪。そして一日中曇りと小雪の繰り返し。

今日は朝から生き物係さんが首都に行商の旅に出た。それで、生き物の世話がかなり大変だったのを思い出す事になった。つばい、相変わらず小食。何かこちらの窺い知れぬ事情、例えば或る種の戒律に従って半断食を行っているのかもしれない。

寒いのとだるいので朝からストーブの前から動かない。仕事をしたという言い訳の為にはね出し落花生の皮むきをする。外見ではね出したものはやはり中身もはね出しである。鶏は喜ぶだろう。

夜、つばいが鮭の無煮えるをガツガツ食べた。夕方にたっぷり食べたはずの他の5匹も寄ってきてにぎやかな食事になった。俺の分はなくなったが。

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元進駐軍の基地の辺野古移設を巡る裁判の口頭弁論が始まった。昨日はタイミングよく上京中だったので、翁長知事の意見陳述全文を掲載した東京新聞を入手できた。全ての法廷の弁論はこのようにわかりやすい言葉と内容で示されるべきだ。多少正確さを欠いた箇所もあった。「米軍基地に関してだけは、米軍施政権下と何ら変わりはありません」。これは、「米軍基地に関しては特に」の言い間違いだろう。真っ当な主張に対して安倍政権は、「政治的主張をする場所ではない」と「粛々と」言い抜けを図る。

その一方で、駐留米軍の化学薬品で汚染された牧港補給地区の一部を計画前倒しで返還する、と元祖粛々の菅官房長官が仰々しく発表して見せた。ブン獲って散々汚してポイ。日米地位協定では、返還する土地の原状回復義務はなかったように思う。「日米地位協定」などと言うと対等な国家間の取り決めのように勘違いしてしまうから、最低でも在日米軍の地位に関する合意―合意はしばしば強要されたり捏造されたりする―ぐらいに訳さねばならない。菅官房長官はその割舌の悪い記者会見の中で、「返還の具体的な目途が付いた」などという官僚的言い回しをしている。何故、具体的に決まった、と言わないのだろう。

牧港補給地区にあった倉庫群は嘉手納弾薬庫知花地区に移設される計画となっている。知花地区には「黙認耕作地」と呼ばれる土地がある。そこでは、米軍に土地を奪われた人々が、文字通り、駐留米軍基地内で軍当局に見て見ぬふりをされながらサトウキビを作ったり、牛の子取りで生計を立てている。先月6日、沖縄防衛局は彼らに、来年11月末までに立ち退くよう勧告した。「前倒し返還」と「強制立ち退き」はセットである。「強制立ち退き」は粛々と進め、「前倒し返還」(とか予算バラマキ)はデカい声と顔で吹聴する。

農民は普通、自分の仕事を何十年というタイムスパンで考えている筈だ。始まりも終わりもない、と言った方がいい。それを「来年までに出ていけ」とは。安倍政権は農業を守るんじゃなかったのかよ。

約束手形で頬を撫でられている財界の人間がこの政府を担ぐのは当たり前だが、暮らしが圧迫される一方の労働者の中にも追従組が多いらしいのが残念だ。山手線の車中で「でも、自民党以外に政権運営できないんだから、しょうがないっすよね」というサラリーマンの言葉を聞いた。サラリーマン同士の会話の定型句みたいなものなのか、本気で言ってるのか。本気でなくても、言い続けているうちに本気だと思い込んでしまう危険がある。肩を叩いてそう言ってやりたくなった。そうしなかったことを悔やむ日がいつかやってくるかもしれない。

 

遅い生き方

2015年12月1日(火) 1/10 ℃

遅い生き方、と言っても、取り掛かりのタイミングが遅いのであって、行動自体は息せき切るように大変慌てる。

12月までにはやっておかなくてはいけなかった事

・苗代の粗起こし、水路の掘り直し
・原木伐採
・薪づくり
・夏野菜畑の片付け

ほとんど終わっていない。遅すぎて頭を抱えることはいくらでもあるのに、早すぎて失敗した記憶がほとんど、いや全く無いのは何故だろう。

今週はあわてて各種種採り。ナス、ピーマン、ズッキーニ、キュウリ。黒胡麻の調整と、アマランサスも一部脱穀した。

巷では高級健康食品のアマランサス、栽培は難しくないが、芥子粒ほどの極小穀、収穫後から口に入るまでに大変な手間が掛かる。大変な手間を掛けても細かいゴミを取り切ることはできない。昨夜、とりあえずご飯に混ぜて食べてみた。米3合に大匙山盛り3杯。味はよく判らない。プチプチと数の子の様な食感は悪くない。今朝はミルク粥にしてみた。ご飯に混ぜたら判らなかったけど、トウモロコシのような香りがある。一瞬、コーングリッツだと言って売ったらどうかと思うが、流通価格を考えたら大損である。

昼頃、土寄せをサボって7~8本に株別れしてしまった赤ネギを植え替えていたら、よりえさんが通りかかって、「今ん頃長ネギ植え替えるの?あたしは春にするけどねえ」と言う。いやあ、冬にやるもんだとばっかり思ってた。一昨年、他所から長ネギをもらって植え替えたのが降雪直前だったのでその記憶に従ったのだが、植え替えにちょうど良いタイミングで貰って来た訳でもなかったのだろう。思い込みは時に、いけない。

今日の晩御飯は大根、人参、里芋のお味噌汁と、大根葉と椎茸の炒め物。野菜は年々美味しくなる。それとも生き物係さんの料理の腕前が上がってるのか。

このところ食事時にはつばいが膝に乗る。すっかりやせて、撫でると背骨がゴツゴツする。子猫のように軽い。雑司ヶ谷のアパートの湿った通路でおずおずと俺の膝に乗った子猫。あの時の、魔法をかけられた様な幸せ。

つばい、ここに来てしあわせだよなあ?