マスメディアに煽られないために

外は吹雪。といったら豪雪地帯の人に笑われるか。それでも大雪に違いない。明日も雪掻きで半日過ぎてしまうだろう。傍から見れば、のんきな暮らしぶりだ。

先週、ほとんど全体主義と間違えそうな(間違いであってほしい)「私はシャルリ」の大行進(があった、という報道)を見て、反射的に「私はシャルリ」ではない、ということを書いた。その後の続報に接しても、やはり「私はシャルリ」ではあり得ない。

大行進の報道の中には、反テロの名の下パリに集結した各国首脳(つまり各国軍隊ー国際的な取り決めで殺人が認められているーの最高司令官たち)が群集と共に歩く、なんて解説をつけた記事もある。が、右欄にリンク先張ってある「マスコミに載らない海外記事」には、これがでっち上げだとの記事が。リベラルだと思っていたハフィントンポストも、この「でっち上げ」の御輿を担いでいる。http://www.huffingtonpost.jp/2015/01/11/paris-rally-je-suis-charlie-hebdo-terrorism_n_6453472.html

写真を見ると、印刷され配られた「JE SUIS CHARLIE」のプラカードがちらほら。集まった人全員が私はシャルリ、という訳でもないんじゃないかと、当たり前のことに気づく。フランス人はとりあえずデモには参加するんだというような話を思い出した。

彫像に攀じ登って旗を振る若者たちの高揚した笑顔。これはなんというか、出撃する兵士、あるいはそれを見送る人々を想像させる。或いはスポーツスタジアムの観衆。同じようなものか。スポーツは戦争だなどと言ってしまう、社会的に名士とされている人も大勢いることだし。

集団的熱狂は、どんな端緒であれ(例えばオリンピックとか)、いつも「大きな者」に利用される。熱狂は個人の裡に、せめて内輪の楽しみに留めておくべきで、公共の場での熱狂は注意深く慎まなければならない。

俺は前の投稿の時点で、シャルリエブドを襲ったのがイスラム教徒の若者だという報道を鵜呑みにしていた。上記「マスコミに載らない海外記事」で紹介されている独立系ジャーナリストの記事には、これを陰謀だと指摘している。ウェブで得られる情報を比較する限り、一般に流されているニュースよりも、この陰謀説に理があるように思う。事件の一週間後、オランド大統領が対イスラム国戦争に原子力空母派遣を表明。フランス国内では批判しづらい世論が支配していることだろう。世論の向きは、それを吹き込む声の大きさで決まる。

30年近く昔、ある予備校講師が「新聞、特に社説を毎日読むと馬鹿になる」と言うのを聞いて驚いた。当時は新聞にも記事にも無批判に権威を感じていたものだ。その後主に貧乏が理由で新聞を読む習慣がなかったが、この頃になってお隣さんから一日遅れで頂くようになったから、新聞を毎日読むようになった。社説も一応目を通す。そして、「新聞を毎日読むと馬鹿になる」というのは、信じやすく、多分に権威に弱い傾向のある若者に対する忠告としては、大変正しかったと感謝している。