寒波と一人一票の関係について(あまり関係ない)

12月8日(月) 晴れ 気温 -7/10℃

寒波なのか毎年こんなものなのか、4度目の冬にしてはっきりと判らない。今朝の最低気温、氷点下7℃。気象協会のHP内、「麻績村のピンポイント天気」には、-4/6℃ということになっているが。そういえば、NO作業日誌は冒頭に日付と気温を記す書式だったのを忘れていた。今日から復活。畑の様子は、

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つい数日前美味しく頂いて、まだしばらくいけるなあと思っていたルッコラ。右側、聖護院大根は寒さに強いと書いてあったけど、、、

 

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霜に当たると甘味が出るという信州高菜。こうなるともう、霜に当たる、とは違う別の、、、

 

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麦の仲間では最も寒さに強いらしいライ麦。畝間の雑草、この状態のときに踏むとポキポキ折れる。もちろん、麦踏なんぞしてはいけない。昨年、落穂から自然生えした株が素晴らしい成長ぶりだったので、5列のうち3列は脱穀した種(麦粒)を播き、2列は穂をちぎって播いた。いまのところ、期待とは逆に粒の方が勢いがある。

 

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ブログの巻頭イメージの日本ミツバチのみなさんは、桑の木の下で越冬中。もう畑だか雪の原野だか判らない。雪がなくても畑だか原野だか判らないけど。

判らない、といえば、最高裁判所国民審査だ。審査広報は読んだ。が、ほとんど判らない。なぜ、同一の事件についての判断の違いが比較できるようになっていないのか。唯一、参院選の一票の格差問題だけは比較できる。だが内容はよく判らない。

俺は、一票の格差はあって当然だと考える。一人一票(農村では「一人一俵」、つまり国民に一人当たり60kgの米を分配する運動だと思っている人が少なくない。それで彼らの主張は、「一人一俵じゃ足りねえズら!」というものである)は妥当なのか。流した汗のぶんだけ票をもらえる、とか、人知れずこぼした涙の数だけ、というのではいけないのか。いっそ各人の体積に比例して票を与えるというのはどうだろう?選挙前には国民的な暴飲暴食が行われて、飲食店の売り上げは飛躍的に伸びる。おっと、これではアベノミクス第4の矢の提案になってしまう。

インテリ連中はIQに応じて配分しろと言うし、拝金主義者は資産に見合った票を要求するだろう。票の売り買いを公に認めろという、政治屋さん達がいるかも知れない(公に認められなくてもそれほど困ってないみたいだけど)。少子化問題対策としては、性交渉を持った相手の数を考慮するというのも大人の提案だ。1haあたり1票の国土中心の発想があってもいい。いずれにしても、小選挙区制度よりはよっぽどましだろう。

全くふざけているわけでもない。大体、よーく見ると、「一人一票」という字は何だか人を小馬鹿にしてやがる。過疎地の票を大都市に回す「一人一票」がどうして平等といえるのか、筋道立てて説明してみろといいたい。大都市と、その支配者を利するだけの、都市の欲望。当然、経団連も経済同友会も賛成(この人たちはTPPにもものすごく賛成)している。小選挙区制のもとで「一人一票」が実現するなら、それは悪夢の中で見る悪夢だ。問題は、悪夢であれ悪夢の中で見る悪夢であれ、それぞれの悪夢を異なる時間軸上で見る事はできても、悪夢が悪夢の中で見る悪夢を包括する状態を見ることはできない、ということだ。

繰り返すが、全くふざけているわけでもない。