コメ不足

9月30日(月)晴れ 14/27℃ 一時ヒリヒリするような陽射しで陽焼けした。

26日脱穀。今年はコメ不足のおそれがある。籾で推定80kg、粒が小さいので精米すれば50kg前後だろう。去年の半分くらいか。稲藁も短く、束も少ない。脱穀後の藁を全部軽トラに積んでも後ろの窓から後方確認が出来た。

近所の人が、今年のアキタコマチは出来が悪いと言っていた。暑すぎて成長から生殖への転換が早まったのか。村の物知りにそう言ってみたら、お宅の田は草だらけで栄養が足りねえで早くに穂が出ちまっただ、とたしなめられた。そうだかも知んねえ。来年は、草も取るけど、品種を変えてみようか。

畑ではオクラもナスも生り続け、大根に初めてシンクイムシ被害。大豆、小豆、ササゲの類が凶作。シイナばっかり。

山を歩けば凄まじい倒木と山栗のイガ。毎年同じ風景であるはずもないが、不安を感じることは多い。

イガほどに栗は拾えず青き踏む

(自然落果した実はすでに獣なんどが先に喰ってしまったのであろう、私は青いうちに落ちたイガを爪先で開いて中身を取り出す事である、ルンルン)

 

この頃諦める事が多い

ログインパスワードがどうしても思い出せなかったが、そういう時にメモを見ると、その記憶に関わっていた脳内ニューロンが死ぬという説が気になって錯誤を繰り返していたが、もう諦めた。さよなら脳細胞(の一部)。

きのこの季節にはまだ暑いだろうにキノコ盗り爺さんたちの軽トラがやたらに山際をウロウロするから試しに山を見に行った。定番の菌種は影も匂いも無かったがタマゴタケに出遭った。地際に壺を持つきのこの中で食べられるのはこれしか知らない。他は命に関わる毒菌が多い。

これは食べないほうがいいだろう。死ぬほど(本当)旨いらしいが。

今日は稲刈り。今年の田んぼは雑草に負けた。梅雨らしい梅雨になった7月、晴れ間を盗んで麦畑の除草と麦刈り、脱穀に追われ、さて月末に最後の田草取りをしようと思ったら草だらけの田んぼで丈も分蘖も未熟な稲たちがみんな出穂しておったそうじゃ。出穂はお盆、と思っていたので観察がおろそかになっておったんじゃな。すべての思い込みを捨てて事物そのものに向き合うことが大切じゃ。

出穂したら田んぼに入るな、と誰かに何かの本に諭されていたような気がしたが試しに田押し車を入れてみたところギッシリ生えた草の上をコロコロ転がるばかり。コオイムシやゲンゴロウ、アカハライモリもそこいらじゅうにウロウロしてるし、草取りは諦めた。

諸々とばして稲刈り終了。何だか浮遊感のあるハゼ姿。十数年前は辺り一面田んぼで、この田んぼだけ耕作放棄地の葦っ原だった。今はみんな田んぼをやめて耕作放棄地になったりソバを播いたりしている。稲自慢をする人は多かったが、ソバ自慢の話は聞かない。

鹿と私のオブセッション

曇のち晴れ やや蒸し暑い一日

汗ダラダラというわけでもないのに暑さに馴れないせいか何をしてもめまいがする。

倒れ始めたトマトに手をくれる(支柱を立てる)。自給用なのに40株以上あり、2m見当の支柱を80本用意しなければいけない。冬の間に済ませておくべきだった。

早生真黒茄子、初物収穫(1個)。今年は早い。ダメ続きの転作田んぼでいい感じ。一方で畑の丸茄子が全然育たない。

ようやく展開し始めたカボチャを鹿がかじる。現場を押さえていないので鹿と(確と)断じるわけにもいかないが。別に美味しくないだろうに、歩きしなヒョイと口が出るようだ。

何度おどしても夜になると山から降りて来て、何かしらちょっと齧って行く。壊滅的損害はないが嫌がらせを受け続けるようにジワジワこたえる。deer snack obsession。

こちらも毎晩裏山に向かって手を打ち鳴らし、歌ったり唸ったりする。ライトに瞳孔が反射すれば表に飛び出して追いかける。俺が病的に気にしすぎるのか。近隣で鹿を追う声を聞いたことがない。

NO休み

梅雨入り間近、少し蒸し暑い。夕立。

農村には農休みと呼ばれる休養期間がある。稲作が主体だった頃の名残だろう、八十八夜に播いた種を45日育てて田植えをすると6月下旬の梅雨入り頃、植え終われば骨休めにちょうどいい。

今年は田植えが例年より1週間早い5月22∼26日、一番草取りも先週済ませた。ズク出して手作業。

農休みは無い。一度、半日ほどゴロゴロして過ごしたあとは日々の仕事の繰り返し。買った苗のレタス以外収穫物がまだ無いのでひたすら草刈り。ディルもハトムギも草に埋もれてしまった。ヤギのご飯もせっせと刈る。

桑の実だけは採れる。おっと、手を伸ばした所に先客が。

毎年恒例、今年もサクランボの枝が何者かに喰われて苗木から大きさが変わらないし、玉葱も相変わらず小さい。

寒い。仕方がない。

今日の朝食、黒パンとじゃがいも、ピタパン、人参とピクルス。野菜を買わないという意地を通すと毎日同じようなものを食べる。飽きたと思ったことはない。食べ飽きたと感じるのは、合成物質中毒に対する拒絶反応である(仮説)。

朝の最低気温は氷点下8℃。春分過ぎてこの寒さはないよ。農協の入口に凍霜害対策本部の看板が立つ時期だ。

トマトの種浸水。畑に落ちてた黄色く乾燥した実を拾って採った種。サンマルツァーノの実が誰かに食われたらしく、殆ど残ってなくて焦った。ボルゲーゼはたくさん。ついでにレタスエルーゴの古い種も発芽試験で浸水しといた。

いよいよだかいやいやだか稲作り仕事。今年は温湯消毒を割愛して浸水から。塩水でもないのに大量の浮き籾が出る。これはヤギのおやつです。

昨日倒す方向がちょっとずれて崖ッ縁に落ちかけた杉の救出。細いと思ってもいざ伐るとなると結構太い。刃を当てると急に太くなるんじゃないかと思うくらい。そして伐ってみるとさらに太くなっている。崖下に転がらないように玉切りたいが重くて扱い難く、全く捗らない。終わらなかった。

今夜のブハンカ。ライ麦3対ツルヤの強力粉2。この頃は250℃で45分焼いている。

 

 

 

エントロピーは増大する

ナス、双葉展開。吸水して発根したのをセルトレイに移して1週間。ここからどれだけ間引けるか。もったいながって苗を作り過ぎて、世話をしきれずに多頭飼育崩壊のような事に、毎年なる。

昼間に配り物にいらした長老が俺の果樹の剪定を見て、「ええ、どれも苛め方が弱いわ。こんなもんじゃ虻蜂取らずになっちまう」と曰われたが、全く図星である。間引いたり切り戻したりが、思い切ってできない。

NO業生活も10余年になるが、間引き過ぎたと思っても結果的に間引き過ぎだったことは一度もない。苗は作り過ぎるし枝は伸び過ぎるし木を植えれば数年で近過ぎたことに気づく。何事につけゴチャゴチャにしちまうクチである。エントロピーの最大化を辛うじて逃れ続ける毎日。

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今日の朝食、黒パンとじゃがいも。小麦パンも全粒粉で黒っぽい。玄パンと言おうか。ドイツでは黒パンと白パンの中間に灰色パン、Grau brot というのがあるらしい。

NO事始め ナス科の播種

播種と言っても浸水して芽出しから。予定より3日遅れ。保温の用意もなく、今夜はとりあえずストーブ脇に置いとく。

ナスは真黒とローザビアンカ、扁平パプリカ、謎のピーマン、激辛唐辛子。今年はシシトウはお休み。

今日の朝食、黒パンと小麦全粒粉パンと白パンとじゃがいも。白パンはツルヤのパン用強力粉。よく膨らむ。黒パンが一番小さいけど使ってる粉の量は一番多い。ずっしり重くて酸っぱい。

今夜のブハンカ

ライ麦:小麦、3:2。麦芽粉末を入れないと焼色が薄い。

くにゅに乗せてみた。

こちらは黒猫に黒パン。だあだは暗いとこで撮ると何だか判らない。

春まで堪え忍ぶ日々の暮らしについて

2月10日(土) -8/10℃ 晴れ

昨日の日暮れ時、暖かい風が吹いたような気がした。雪を被った杉木立の隙間をこっそり春がすり抜けたんじゃないかな。

で、今朝は氷点下8℃。仕方ない、いつも通りの季節なら今頃からが厳冬だもの。いつも通りということはもうないのだけれど。
久しぶりに明るい朝。木々に隠れて見えないけど山裾からは日が昇っている。ヤギたちは小屋の扉が開けば、どんなに寒くても放牧場に走ってゆく。

これは6日の大雪の朝。去年と、今年もこの日までほとんど積もらなかった。久し振りの終日雪掻きで今頃になって全身倦怠感。

 

今日の朝食は(も)黒パンとじゃがいも、赤大豆ペースト。

食後はグズグズとストーブの前に張り付いて、しょうがなく仕事に掛かる頃には10時を回っている。

午后、ふたりで細川の放牧地のクヌギを一本伐る。傷のないところはキノコの原木、太いところは薪、小枝はヤギのご飯と、全く余すとこがない。ありがたいもんだ。

木を伐るのにはものすごく時間をかける。野菜の収穫もそうだけど、効率を追いかければ仕事の楽しみは置いてけぼりになる。喜びを勘定するようになったらおしまいだ。山菜きのこ獲りの時は別人格に憑依されるのだけれど。

日暮れ前には氷点下。ストーブが活躍する時節はパン焼きが夜の仕事。

ライ麦、小麦半々。ライスタータ50g、粉425g、水275cc、塩6g。250℃で35分。スタータとライ麦粉で24時間発酵、塩と小麦粉足して8時間発酵。

塩だけは自給できない。南信には塩鉱があったらしいがリニアの工事でだめになったかもしれない。

築78年の民家、土壁がそろそろヤバい。正月の地震でひび割れが増えた。屋根と壁さえあれば、とよく言うが(言うよね?)、我が家は屋根と壁と床がジワジワと崩壊しつつある。今年はなんとかしよう。

国家

11月16日 晴れ −3/10℃

他人の命を大切に思う人々は少なからずいるに違いないが、他人の命を尊重することを行動で示す「国家」は地球上に存在しないことが明らかになった。

蝶のように舞えず、蜂のように働く。