ヤギに追われて

朝は氷点下2℃。指先が凍る。

6 時半過ぎ、ヤギたちを小屋から出す。本当はもう少し早く出してやれば、朝一の大量のおしっこを外でしてもらって、掃除が少し楽になるのだが、寒いのと暗くてよく見えないのとで、ついつい遅れてしまう。この頃は草も凍っているし。

先々週の水曜日、1 日に生き物係さんが手刈りで頑張って稲刈りを終わらせてくれた。それでも11月に稲刈り、、、。10日に脱穀。これはご厚意で借りっぱなしになっているハーベスタが活躍した。推定100kg。反収にすると当地平均の半分にも満たない。労働時間は10倍ではきかないだろう。何とかしなければいけない、という気持ちと、まあこんなもんか、という気持ちが半々。日本晴だからな、と言い訳をしてみるが、品種選定を誤ったことは間違いない。だが、標高900mの日本晴はそうそうお目に掛かれないだろう。ちょっとうれしい。

うれしいのは今になって感じることで、稲刈りも脱穀も、いや、今年はあらゆる仕事が時間に追われて焦りと、少なからぬ諦めのなかで流れ過ぎて行った。時間に、というよりはヤギに追われているのだ。ヤギよ!可愛さあまって憎さ百倍、という言葉を、お前たちほど思い起こさせてくれる者はいない。

だが、憎しみはとろけるように消えてなくなる。お前たちの天才的な愛される力でもって。

日本晴の稲刈り

大雨 9/11℃

一昨日から始めた「日本晴」の稲刈り。

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手刈りですこし刈ってみたが、山側の水がはけなくてひどくぬかるむ。台風22号は逸れる、という強い信念をもって翌日の晴天に賭け、3時過ぎに早々と切り上げる。

翌土曜、朝から曇り。午前中山側を手刈り。長靴が沈むほどではない。昼にカトーさんに電話をかけ、急遽、バインダーを借りる。ああそうかいと快く貸してくれたが、あまりといえば無計画すぎる。段取りってやつが苦手で。農業者に最も必要な資質のひとつなんだけど。

バインダー、何度かぬかるみにハマったが、気を付けながら全体の七割くらい刈った。雨で中断。台風は逸れなかったようだ。

今日は朝から結構な雨。はぜ掛けした稲束にも容赦のない雨が降り注いでいることだろう、神よ。神よ、しかしどうして俺たちはいないものに呼びかけたがるんだろう。ヤギたちも放牧場のテントの下でじっと耐える。ヤギよ。ヤギ小屋の床も乾かない。

冬が来る。

 

 

稲刈りとスガレ

晴れ 14/29℃

何処にだかは判らないが祈りが通じたのか、嘘のような暖かさ。暑いと言ってもいい。空気は乾いて、汗はそれほど出ない。

今日はモチの稲刈り。

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モチはよく育ったと思っていたが、刈ってみると慎ましいくらいだった。雑草はまあまあ抑えられた。スズメノテッポウが枯れかけて硬くなり、手が切れそう。未分解の有機物がまだまだ多く、保水力は素晴らしい。歩けば足跡に水が溜まるが、溝を掘ってもなかなか流れて来ない。よけに溜まった泥をすくえば、ヤゴ、タガメ、ゲンゴロウ、アカハライモリが顔を出す。ごめんなあ!

日本晴もだいぶ熟して来た。あと10日、晴れて暖かい日が続くといいのだが。予報では週末から天気が崩れて寒いらしい。とはいえ、凶作という事はなさそうだ(希望)。この頃は希望という言葉が安くなったもんだ。右翼の希望。

 

夕方前のあれこれとせわしない時間、カトーさんがふらりと現れる。うちの庭先にできたスガレの巣を掘りに来たのだ。スガレというのは地蜂ともいわれるクロスズメバチの事で、近隣の林道入り口には「山菜、茸、スガレの採取を禁ず」というような看板が立っている(立っていたような気がする。そのうち確かめておこう)。美味いらしい。

さてカトーさん、スズメバチの巣を掘りに来たわりには意外なほど軽装、というか普段着で、道具は鎌一丁、煙幕花火3本のみ。手袋ぐれえはしておくか(おっか、と聞こえる)、と笑いながら蜂の巣の方へ悠然なのかヨロヨロなのか判然としない歩き方で近づいていく姿には、「土地の古老」といった風格がある。カトーは性ではなく名で、ローマ帝国の政治家のカトーに由来するらしい。これは大してでかくねえか知れねえな、とつぶやき、煙幕花火を無造作に巣穴に突っ込む。数分後、これまた無造作に鎌で穴の周りをザクザク掘って行く。外から帰って来た働き蜂?たちがブンブン飛び回っているのも一向、気にしない。

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掘り出した巣は直径20㎝程、6~7層。幼虫が詰まっている。カトーさん、片手に軽く載せて悠然と、またはヨロヨロと引き上げてゆく。抑えた笑顔から満足感がこぼれていた。

スガレはたぶん肉食系だろうから、もしかしたら野菜につく害虫を食べてくれてたかも知れない、と思うと少し申し訳ない気がした。今度見つけてもそっとしておこう。いや、自分で取りたくなるかも、、、。

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生で一匹食べてみたが、甘くて少し脂っぽかった。味付けによっては美味しいかもしれない。

 

遅延型冷害について

晴れ 5/22℃

雨で農休みでやれやれみたいな事を言ってたら仏の慈悲か神罰かその後雨ばっかり日差しがほとんどない恐ろしい夏を過ごした。来る日もくる日も雨。晴れてもほんの一時。稲は育たず雑草ばかり伸び放題ヤギは、ヤギは雨を嫌うそうだがうちのはよく雨に打たれながら草を食っていたなあ。霧雨の阿蘇の牧場で草を食む小さい馬の姿さながら。不快感より空腹が勝ったのだろう、不憫なことだ。

今年も猛暑の筈だった。俺の勘では。で、我が家の田んぼの、西日本の平地で広く作られている品種「日本晴」は、高温障害に苦しむ巷のコシヒカリ田を低く見て、標高900mの五里田に美しく熟す筈だった。俺の妄想では。ほんとに妄想だった。

7月初旬までは順調な生育ぶり。7月5日。

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8月10日、手前の糯は徒長気味、奥の粳「日本晴」の成長が鈍い。手前右は昨年使わなかった部分。葉色が濃い。

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記憶にある限りでは最も晴れなかった8月。蒸し暑さだけは例年以上で蚊やブヨ、アブなどの空飛ぶ吸血昆虫が大発生。

なかなか出穂しない。「田植え後から出穂期までの期間が低温で生育が遅れ、出穂・開花しても、秋冷にあって完熟することなく、未熟米に終わる―品種の選定を誤り、晩生品種であったり、遅植えしたため、出穂が遅れ登熟不良になるのも、遅延型の冷害現象である。(『米作りへの誘い』より)」 その通りだと思います。

8月20日、糯「朝紫」出穂。

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8月28日、「日本晴」、出穂。

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粳はここから伸び悩んだ。9月10日。

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9月29日。

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頼むよ「日本晴」!

明日の朝も霜注意報の麻績村にて。

NO休み

「百姓殺すにゃ刃物は要らぬ、雨の三日も降ればよい」という戯言をどこぞで見聞きした覚えがあるが、そのような指摘は全くあたらない(菅)。雨を口実に仕事を休むことができなかったら、それこそ百姓は過労死してしまう。この頃連日の雨で仕事をサボりがちなおかげで、座っていられないほどの腰痛も和らぎ、紙やすりの様だった指の肌荒れもだいぶ改善した。世間とは一カ月ほども遅れて農休み。朝晩のヤギの搾乳があるから、丸一日休むという事は無いけれど。

 

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これは先週まで悪戦苦闘していた一番草取り中の田んぼ。ゴロ土にびっしりとマツバイが生え、コナギも続々登場中。とりあえず田押し車を転がしてみたが、株元に泥が寄ってマツバイの好適地になってしまった。

耕す機械がなかったから不耕起にこだわっていたが、耕してみると、稲の生長に寄与しているような気がする。寄与してくれないと困る。

明日からすぐに二番草にかからねばならないのだが、台風3号が新幹線沿いに横断するらしい。内陸型気候で雨は少ないと言っていたこの村も、この頃はゲリラ豪雨のようなこともある。玄関あたりで雨漏りするようになってから、大雨がおそろしい。

 

 

 

田植えと共謀罪、2017

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田植えが終わった。今年は記録写真が全然ない。前回の投稿から今日まで一枚も撮らなかった。

今年の田植えの概要について。

・みのる式ポット育苗。直播よりも徒長気味だが、苗取りを省略できて助かった。

・耕運機を導入(何たる堕落!寄る年波には勝てんよ)、育苗期に粗起こし。土塊をしっかり乾燥させて再度細かく耕起する予定が、大雨で中止。

・ごろんごろん土のまま入水。高低差が20cmくらいあったので、ひたすら踏みつける。耕運機で代掻きもしてみようと目論んでいたが、入口に近い部分が泥沼になってしまい、耕運機が侵入不可能で中止。絶対に沈むという確信があった訳ではないが、以前、隣の田んぼでトラクターが泥にはまって半分沈んだのを見ているので冒険できなかった。年じゃのう。いくら踏んでも粘土の塊はこなれない。入水から一週間もすると草だらけになった。マツバイは田んぼの表面を隈なく覆い尽くそうとする奴らだが、ごろ土で表面積が増えた分、いつもより総量が増えた。

・35日の3.5~4葉で植え始め。植えながら踏んだりこねたりして除草、泥均し。

例年の3倍のスピードで植えた筈だが、ヤギの世話があるぶん、一日かかりっきりにもできず、結局一週間かかった。日に日に苗が大きくなるのが分かった。

もっといろいろ反省点があった筈だが、よっぽどこたえた事じゃないと忘れちゃうね。現場に立つと思い出すんだけど。冬の間にプランを立てるとか、段取りってやつが苦手で困る。本当に困る。

*        *        *

こうしている間にも共謀罪が現実のものになりつつある。この法律がどれだけ「本当の」犯罪防止の役に立つかは知らん。捜査の対象にはならないよ、怖くないよ、と嘘臭い顔に説明してもらった「一般人」がビビッてますますいい子になるのは確実じゃろう。

だいたい「テロ等準備罪」、等ってなんじゃ?こりゃ単に「準備罪」じゃろ。実際には、準備してる、とか準備してんじゃねえのけ?とか勘繰られたら立派な捜査対象になるんじゃ。その捜査のための盗聴やら、抗議を受けた時の情報隠しにお墨付きを与える法律もこの間、着々と整えられてきたじゃろが。ま、情報隠しに関しては法律なんか持ち出すまでもなく、そんなもん知らんと居直るのがこの頃の政府の流儀みたいじゃがのう。はあそうですか、とすぐに引っ込むのも下々の流儀じゃがな。馬鹿か。

どんな批判を受けても「そういうことは一切ない」とか「批判は全くあたらない」としか答えなくなった国政のトップ。”「安倍一強」といわれる、、、”なんて文言をいやになるほどマスコミが垂れ流しておるが、誰が「安倍一強」なんぞと言っとるんじゃ。お前らが話題を捏造しとるだけじゃろが。いや、腹が立ってつい歳を取ってしまった。ゴホゴホ、ウォッホン。

*        *        *

諦めるのを、あきらめをその性とするのを待っている。ヌクヌクとした奴隷の群れになるのを。

わしゃ疲れたよ

いつの間にか50を過ぎてしまって、年寄の仲間入りをしておった。いつからか、生涯現役だの、70はまだ高齢者じゃないだの、馬鹿らしい風潮が広まっておるが、ありゃボケの一種じゃろうな。若さ、或いは年寄り加減(?)というもんは、とかく自分から見て相対的に捉えがちじゃが、ヒトの年齢にはどうしたって若い、またはどうあがいても年寄り、という絶対値があるもんじゃ。18は絶対に若い。25から35は曖昧なところじゃな。この辺じゃ昔は25になると若者組を卒業して中老と呼ばれたそうじゃ。50くらいが寿命だったり、寿命じゃなくとも戦場に引きずり出されて殺されておった頃の話じゃが。なに、敵に殺されたんじゃない。国家に殺されたんじゃよ。歴史が繰り返さないことを祈るばかりじゃ。国家に殺されると言えば原発じゃが、除染も手付かずの山が燃え続けておるの。帰還許可区域が見直しされん筈はないと思うんじゃが、さて。国家のやることじゃからのう。ともかく、50過ぎれば立派な、いや立派じゃなくてもとにかく年寄じゃよ。年金よこせ。

そういう訳でわしゃもう疲れた。「もう疲れた」後には、やめる、とか倒れる、とかいった状況が続くのが順当なんじゃが、そういうわがままも許されんからな、仕方なく今年も田んぼ仕事が始まったんじゃ。

仕方なくやる仕事は辛い。まじめにやる仕事も辛い。農業を本気でやると疲れて死んでしまうからNO業に転向したのに、うっかりすると収量アップとか失敗しないコツとは何かとか、「これならできる家庭菜園」とかにうつつを抜かしてしまう。「これならできる!」よりも「こんなんでできるの?」と思ってやった方が面白いよなあ。

とはいえ、ついまじめに水稲の種播き。

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内山さんから頂いたみのる式ポット。7,000株分、播くのは結構大変だが、一週間苗取りするのに比べれば全然ヘイチャラ。五畝7,000で足りるよな?急に不安になって来た、、、

通常はハウスで育苗するらしいが、ハウスはおろか、これを20枚近く並べられる平地が無い。一か所だけあったけどこないだ燕麦播いちゃった。それなので、種播き済んだポットを直ちに苗代に並べる。

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ふっふっふ、今年こそ見てろよ、なんてつい思ってしまう。仕方なくやっててもつい面白くなってしまう。そうでなければ本当に死んでしまう。同じ死ぬなら銃よりも鍬を握って。

NO作業覚書

4/16 、 ジャガイモ植え付け、ナス科播種。踏み込み温床が初めて暖かくなった。枠も作らずに山積みにしたから、頂上部の面積は狭い。一気に仕上げたのが良かったのかもしれない(単に今年は暖かいのかも知れない)。苗代作りなども毎年、馬鹿丁寧にこねくり回してかえって泥の状態を悪くしてしまう。土を殺してしまう、という感覚。書とか将棋の一手のような勢いが大切だろう。あくせくと体を動かす時間は削れそうにないが。

今年の目標は、質より量。冬のヤギの食糧が全然足りなくて苦労した。

4/17、温湯消毒。粳の「日本晴」と糯「朝紫」。60℃5分処理。今年は上手くいった。と思ったら、夕方、浸種水温を確認していた生き物係さんが、温度計の上部に短い液切れを見つけた。約5℃分の長さ。現像用の温度計と比べて見ると、確かに5℃低くなっている。65℃5分になってしまった可能性が高い。種籾よ無事でいてくれ。

仔ヤギたち(主にハナ)による乳首咬み千切り未遂事件の結果、生後3週間でおっぱい吸い禁止となり、同時に仔ヤギたちは速やかに草食に移行、哺乳瓶からの授乳も受け付けないため、ヤギミルクが毎日1,5L採れる、いや頂けるので、毎日大量のヤギミルクを飲んでいる。この頃はヤギミルク味噌汁だ。

ヤギ乳は独特の匂いがあるでね、、、と村のヤギミルク経験者は、まるで昔からの言い伝えを語るように、おんなじセリフを言う。それで、実際に絞って飲んでみるまでは不安だった。飲んでみたら、大変おいしゅうございました。絞ったその日に飲むと、クセもなくあっさりとして、大変美味しい。二日目に飲むと、お、こいつはヤギの乳じゃないか、という風味がある。三日目に飲むと、ヤギがカップを持つ手を角でぐいぐい押して、さあ飲め今飲め全部飲メエーと迫ってくる。四日目のヤギミルクを飲まなくて済むように、寝る前には焼酎割りで頂いている。頂きます。

ヤギの出産について

子ヤギが生まれた。双子の女の子。2週間経って、すっかり大きくなった。

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生まれたのは2月12日の正午過ぎ。牝ヤギのヤーは朝から落ち着きが無く、どこかに行きたがるのだがそれがどこなのか自分でもわからない様子。あちこちで草を食べる。草を食べては何かを訴えるようにメメメ、と鳴く。ヤーの鳴き声は倍音豊か、口はあまり開けないで鼻腔の反響を使っているようだ。数日前から念のために隔離している牡のギーが遠くで絶叫している。ギーはへヴィメタル系のシャウト。いやうるさい事!

出産当日は食欲がなくなる、と本で読んでいたので、今日は無いかな、とも思った。

昼食を早めに済ませて様子を窺う。やはりヤーはメメメ、と鳴き、ギーは日本語の文字では表せない音で叫んでいる。ヤーを好きに移動させてみると、あちこちで草を食べ、草を食べては何かを訴えるようにメメメ、と鳴く。そのうち小屋に入ったり出たりを繰り返し始めた。これはもう、産もう、と思い、ヤーを小屋に導いた。小屋に入ると、今度はヤーも座り込んだり立ち上がったりを繰り返して如何にも産みそうなそぶりになってきた。慌てて敷き藁を足して備える。ちゃんと備えるにはお湯とかタオルとかいろいろ必要なんだけどもうなんだか急に間に合わない感じになってきて、生き物係さんを携帯で呼んだ。

その間もヤーはますます激しく姿勢を変え続ける。横倒れになって片足で床を掻く。声はもはやメメメ、ではなく、ウーン、ウーンと人間そっくりになっている。外陰部が出っ張ったり収まったりを繰り返す。何度目かの横倒れから、舞踏家のようによろよろと立ち上がると、産道から一気に水が噴き出した。破水だ、と出産経験のない人間二人が同時に言ったほど、破水という言葉は事態を的確に表していた。

続いて産道から内臓の一部のような袋のようなものがじわじわと現れ始める。全然胎児には見えないけど、これで合ってるのか、何か違うものが出てきてしまったのではないかと狼狽える。それはセミの羽化のようにじれったい。ヤー、これでいいのか?ウーン、ウーン。

と、袋の濁った液体―羊水、いや山羊水か―の中に鼻づらと蹄のようなものが見えた。よしよし、頑張れ!

やっと顔と前足が見えた所で滞ってしまう。見守るべきだとも思ったが、もしや胎児は肺呼吸を始めてしまっているのではないか、という恐れが募る。袋をそっと引っ張ってみる。動かない。肢を引っ張ろうにも袋のぶよぶよに阻まれてうまく掴めない。ヤーの力みに合わせて助けにならないかも知れない手を貸す。ヤー、頑張れ!ウーンウーン。

と、袋がズルズルと排出され、ボトリと落ちた。出たー!

膜の中に仔ヤギらしきモノがある。見守るべきだとも思ったが、もしや胎児は肺呼吸を、、、と焦り、膜を引き千切る。仔ヤギが出てきた。ヤーが子どもを舐めたり、袋を喰ったりする。うーん、可愛いというよりは怖い。

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ベトベトになった手を洗いに家に帰り、追加のお湯を持って戻ると仔ヤギは二頭、生まれていた。

 

*          *          *

 

よりによってこの日から1週間、玄関先で毎朝氷点下11~12℃を記録した、この冬一番の冷え込みが続いたのであった。間に合わせでこしらえて手直しもしなかった粗末な小屋で、よく頑張ってくれた。子ヤギたち、ありがとう。ヤー、ギー、ありがとう。

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自由は不快を求めるか

室外温度計が壊れて、この頃は調理用の温度計を玄関先に置いている。精度は判らないが、朝7時頃は氷点下10℃のあたり、先月末の一番寒かった時にマイナス15℃を記録した。台所の凍り具合からすると、実気温に対して今までの温度計よりも低目のところを示すように感じる。寒いことは寒い。

年々湿った雪が多くなる。今日などは2月だというのに一時雨になった。厭わしい心持でながめるせいか、ボタン雪が細かいゴミのように見える。服に付いたのを払えば、溶けてじっとりする。どうせ春の陽気はまだまだ先、同じ寒いのを耐え忍ぶならば、もう少し寒くても、軽くて扱いやすい粉雪が降ってくれた方がいい。

夕方、雪が小止みになったのでヤギの散歩に出る。寒々しい枯野もよくよく観れば多年草の若い命が芽生え始めている。地上部は冬にあっさりと死んで、春に新しい姿でまた生き直す。人もよく人生を一からやり直す、などと言うが、こっちは器の造り替えがきかないからそれは己を「擬草化」した思い込みに過ぎない。けれど、思い込む他に何ができるというのか。

夕闇が迫り、気温が一気に下がる。手綱に逆らうヤギを引き摺るように―或いは引き摺られながら―滑りやすい坂道を進む。ヤギの自由を徹底的に奪いながらヤギ達を少しでも快適に過ごさせようと骨を折る。快適であるためには不自由を耐え忍ばねばならず、自由の為には快適さを犠牲にする覚悟がいる。そこには今のところ、快適な自由というものがあるようには思われない。