猫裁判
野良猫に餌をあげてはならぬという裁判があった。
原告の言い分は、糞尿の悪臭、車に傷、、、
原告のみなさんは、自分はいい匂いがするとでも思っているのだろうか。
原告代表の如き御老体に至っては、糞尿の匂いとも無縁では無い筈だ。
電車の中でそんな匂いを嗅いだときも、俺は、
「ああ、牧場の匂いがするなあ!」とおおらかに受け入れるよう努めている。
それが人間の知恵と言うものだ。
他者を「臭い」と言うことは、最も安直に使われる差別の手段だ。
車に傷。そんなにでかい猫がいるのかよ!
猫が増えることが問題なのではない。
猫がいることさえ我慢できないような心の狭い人間が、
三鷹辺りのプチ高級住宅街に増えすぎていることの方が問題だ。
この裁判については、以下のブログが争点をよく見極めているように思う。
加藤一二三さんの猫裁判の争点と俺の意見書
「報道を見る限りですが、今回の事件は猫の餌やりトラブルというより、
ご近所づきあいの中でクセの強いもの同士が引き起こした人間関係のトラブルのような印象を持っています。」
見識であろう。